大飯原発の再稼働は本当に現実的で公平な判断か。
野田政権が今日、大飯原子力発電所3、4号機の再稼働を決定した。
その賛否については様々な意見があるが、はっきり言って時期尚早だ。
賛成派は経済面でのマイナスを特に主張するが、もう少し大局的・長期的な側面から考えてほしいと思う。
さて、再稼働の是非を論じるにあたっては、まずは様々な論点を一つ一つ検証する必要がある。
そして、考え得る限りのプラス面・マイナス面を同じまな板の上に載せたうえで、再稼働が日本国民にとって必要なのかどうかを総合的かつ俯瞰的な視点で判断すべきだ。
以下、賛成派(推進派)の主張に回答する形式で、自分の考えをまとめて記すことにする。
賛成派の主張①
「大飯原発の安全性は、政府が4月に決定した新たな3つの安全基準をクリアしており、その安全性は十分に確保されている。」
<反論>
4月に決定した3つの安全基準の一つに、「ストレステストの1次評価を国が確認すること」というのがありますが、2次評価(炉心溶融に至るまでの過程を明らかにし、脆弱な点を改善する作業)の確認は安全基準に含められておらず、基準としては不十分である。
ストレステストの2次評価の結果はいまだ提出されておらず(期限は昨年末)、そもそもその実施の見通しさえ立っていない。この点については原子力安全委員会も批判していますが、政府や電力会社はこの遅れをまるで問題視していません。
要するに安全基準が緩いのだ。
もっとさらに言えば、今回の原子力事故を踏まえた新たな防災対策(避難計画等)はまだこれからといった段階であるし、事故対策拠点となる免震重要棟の設置やフィルター付きベント(排気施設)の設置も先送り。防波堤のかさ上げも来年に持ち越しだ。原子力規制庁もまだ設置されていない。
暫定的なそこそこの安全基準で大飯原発を動かそうとしているわけである。安全面より経済面を露骨に優先させているというほかない。
賛成派の主張②
「放射能はそもそもそんなに危険ではない。マスコミ等が何らかの意図をもって誇大に伝えている面がある。福島原発事故の放射能被害で亡くなった人はいないし、健康被害についても言われるほど深刻な結果にはならない。」
<反論>
この主張は、短期的な影響に限って言えば、ある面正しいといえます。事実を誇張して不安を煽るような雑誌記事やマスコミ報道は数々あったし、今もなおあります。冷静に考えれば、直ちに引越しをするほどのことはないと思います。福島のお米でも、仮に1年食べ続けても何ということはないでしょう。
しかし、問題はもっと長い期間における被曝がどのような影響をもたらすかです。
低線量の長期的被曝による被害の程度については、本当に正確なところは多分誰にも分からないのでしょうが、少なくとも低線量被曝なら安心だと断定できるほど説得力のあるデータは見当たりません。この低線量被曝について専門家の間でも見解が分かれるのは「しきい値(ある値以上で効果が現れ、それ以下では効果が現れない場合の、その値のこと)」の有無です。現段階では「しきい値」なしという考え方のほうが有力です。
「しきい値」がないということは、微量の被曝であっても悪影響があるということです。例え、影響の度合いがものすごく小さいとしても、悪影響のあるものは食べたくないものです。これは自然な感情だと思います。
低線量被曝の影響を軽視する人達は、「ごく少量であればDNA修復の機能もあるから問題なし。低線量被曝でかえって免疫がつくという見解もある。」などと主張するわけですが、それを立証するような有力な研究成果にはお目にかかったことがありません。それどころか昨年には、「しきい値」なし、つまり低線量被曝の悪影響を裏付ける2つの調査結果が発表されています。一つは、「被ばく量が50ミリシーベルト以下でも発がん率が上昇する」というもので、世界各国約40万人の原子力産業労働者を対象とした疫学調査結果によるものです(British Medical Journal誌に掲載)。
今一つは、「低線量被曝健康リスク評価委員会(米国科学アカデミー内の機関)」が発表した「電離放射線の生物学的影響 第7報」です。これも低線量被曝における「しきい値」の不存在を裏付けるものとなっています。また、広島・長崎原爆の被曝生存者に対する追跡調査の結果からも、「しきい値」はどちらかといえば「ない」とされています(参考)。
低線量被曝に関しては、少なくとも心配無用などと断定すべきではないでしょう。放射能汚染については、「安全」などという曖昧な表現はやめて、せめて「悪影響はほとんどない」「悪影響は無視できるほど小さい」などといった表現を用いるべきと考えます。
程度はともかくとして、汚染の可能性のある食品については、ガンの発生率を押し上げる要因の一つとなりうるわけですから、例え規制値内あるいは検出限界未満の食品であっても、それを回避する行動を責めるわけにはいきません。そうした食品を摂取するかどうかの判断は、つまるところ、人それぞれの人生観や価値観によるのであって、勝手に安全だのなんだのと断定してほしくないのです。ちなみに私はタバコ吸いなので、食品に含まれる放射性物質については、現在はあまりこだわっていません。タバコを止めるほうが先ですね。
賛成派の主張③
「脱原発は結果として経済成長を阻害し、税収も減って国の財政が悪化する。また、電力不足による計画停電や節電命令と一層の電気料金値上げは一般庶民の生活にも多大な負担を与える。企業の海外移転も進み、産業の空洞化につながる。」
<反論>
まず、そもそも、本当に電力不足なのかが疑問である。5月4日号のFRIDAYにも次のような記事がありましたが、それが本当なら、ひどい話です。
『 FRIDAYが、神戸製鋼所に取材したところ、「昨年はわが社の神戸発電所から関電に140万kWの電力を販売した。さらに神戸製鉄所12万kWと加古川製鉄所45万kW、合計57万kWの能力がある。関電から依頼があれば供給を検討するが、現時点ではまだ依頼がない」という。関電は、このような購入できる独立系発電事業者(IPP)の電力を計算しないで、電力不足を煽っていることが明らかになった。 』
そもそも昨年の計画停電だって本当にその必要があったのか疑わしいところ。福島第一原発及び第二原発がすべて停止したままでも、需要電力をまかなうだけの十分な発電能力があったという主張もいくつもなされています。
さて、仮に計画停電、節電命令、電気料金値上げなどが回避できないとしても、それが経済成長を阻害して国民生活を脅かすと決めつけるのは、いかがなものだろうか。
確かに一時的には混乱と景気悪化をもたらすだろうけど、脱原発依存を打ち出しているんだから、地熱発電、メタンハイドレード利用などの有望な代替手段の開発・運用に早期に着手し、対象地域の企業に対しては助成金等の手当をしっかりと施すとともに節電の工夫を促していけば、決して乗り越えられないことはないと思う。
特に地熱発電に関しては、1基あたりの発電量は原発の10分の1程度だけど、建設コストや維持管理コストは格段に低いし、燃料も不要なので、地熱の多そうな日本にはまさにうってつけではないだろうか。ドイツなど諸外国でも研究は盛んで技術もかつてよりは大いに進んでいるし、地熱発電のことは日本でもっと喧伝されて然るべきなのに、マスコミではあまり取り上げられず、政府や電力会社からも積極的な言及がない。原発否定になって都合が悪いから口にしないのだろうか?
また、周波数の問題だって、大きな視点に立って、今後50Hzと60Hzを統一してもいいはずだ。技術的に多くの問題があるのは分かるけれども、10年、20年かかってもいいから周波数の統一に向けて進んでいくべきではないだろうか。経産省は費用の面から事実上困難だと匙を投げていますが、100年後もこれでいいはずがない。少しづつでいいから統一に向けて歩を進めるべきでしょう。いざというときの地域間の電力の融通量が少しでも増えれば、その分だけ電力不足は解消するではないか。
電気料金の値上げについても、原発を廃止して自然や国民を守る代償ということであれば、渋々とはいえ納得する人も多いはずだ。しかし、いわば電力の独占企業である電力会社が、自助努力もろくににせず、代替手段も半ば等閑に付し、事故の責任逃れに終始するような現状では、誰が素直に納得できようか。もちろん、関西地区等の中小零細企業にとっては死活問題であろうけど、ここは国が動くべき。何らかの補償をすべきでしょう。
以上で<反論>としての説明は終えますが、
原発事故が何を奪っていったか、何を後世に押し付けたかを賛成派の人はもう一度考えてみてほしい。
福島原発は何百年あるいはもっと長い期間にわたって管理しなければならないし、東北や関東に撒き散らした放射性物質も気が遠くなるほど先にならないと無くなりはしない。というか、今でも海に垂れ流し状態だ。
フクシマというブランドもほぼ灰燼に帰したといえる。日本はともかく、世界中でフクシマのものが購入されることは今後数十年はない。チェルノブイリ産の農産物と聞いても誰も買わないでしょう。もう26年も経つというのに。
経済を守るのも大事だけど、周辺で万一原発事故が起きたら、経済も何もないではないか。
こんな狭い国土で福島以上の事故が起きたら、一体どこに逃げるというのだろう。
ただでさえ日本は地震大国なのに、地震活動期に入ったとの専門家の発表もありましたよね。
原発は日本にはいらない。この国には危険すぎるのだ。
世界一の技術力を持っている日本だからこそ、率先して代替エネルギーの開発に大きく舵を切り、原発から離れていくべきだ。
以上
その賛否については様々な意見があるが、はっきり言って時期尚早だ。
賛成派は経済面でのマイナスを特に主張するが、もう少し大局的・長期的な側面から考えてほしいと思う。
さて、再稼働の是非を論じるにあたっては、まずは様々な論点を一つ一つ検証する必要がある。
そして、考え得る限りのプラス面・マイナス面を同じまな板の上に載せたうえで、再稼働が日本国民にとって必要なのかどうかを総合的かつ俯瞰的な視点で判断すべきだ。
以下、賛成派(推進派)の主張に回答する形式で、自分の考えをまとめて記すことにする。
賛成派の主張①
「大飯原発の安全性は、政府が4月に決定した新たな3つの安全基準をクリアしており、その安全性は十分に確保されている。」
<反論>
4月に決定した3つの安全基準の一つに、「ストレステストの1次評価を国が確認すること」というのがありますが、2次評価(炉心溶融に至るまでの過程を明らかにし、脆弱な点を改善する作業)の確認は安全基準に含められておらず、基準としては不十分である。
ストレステストの2次評価の結果はいまだ提出されておらず(期限は昨年末)、そもそもその実施の見通しさえ立っていない。この点については原子力安全委員会も批判していますが、政府や電力会社はこの遅れをまるで問題視していません。
要するに安全基準が緩いのだ。
もっとさらに言えば、今回の原子力事故を踏まえた新たな防災対策(避難計画等)はまだこれからといった段階であるし、事故対策拠点となる免震重要棟の設置やフィルター付きベント(排気施設)の設置も先送り。防波堤のかさ上げも来年に持ち越しだ。原子力規制庁もまだ設置されていない。
暫定的なそこそこの安全基準で大飯原発を動かそうとしているわけである。安全面より経済面を露骨に優先させているというほかない。
賛成派の主張②
「放射能はそもそもそんなに危険ではない。マスコミ等が何らかの意図をもって誇大に伝えている面がある。福島原発事故の放射能被害で亡くなった人はいないし、健康被害についても言われるほど深刻な結果にはならない。」
<反論>
この主張は、短期的な影響に限って言えば、ある面正しいといえます。事実を誇張して不安を煽るような雑誌記事やマスコミ報道は数々あったし、今もなおあります。冷静に考えれば、直ちに引越しをするほどのことはないと思います。福島のお米でも、仮に1年食べ続けても何ということはないでしょう。
しかし、問題はもっと長い期間における被曝がどのような影響をもたらすかです。
低線量の長期的被曝による被害の程度については、本当に正確なところは多分誰にも分からないのでしょうが、少なくとも低線量被曝なら安心だと断定できるほど説得力のあるデータは見当たりません。この低線量被曝について専門家の間でも見解が分かれるのは「しきい値(ある値以上で効果が現れ、それ以下では効果が現れない場合の、その値のこと)」の有無です。現段階では「しきい値」なしという考え方のほうが有力です。
「しきい値」がないということは、微量の被曝であっても悪影響があるということです。例え、影響の度合いがものすごく小さいとしても、悪影響のあるものは食べたくないものです。これは自然な感情だと思います。
低線量被曝の影響を軽視する人達は、「ごく少量であればDNA修復の機能もあるから問題なし。低線量被曝でかえって免疫がつくという見解もある。」などと主張するわけですが、それを立証するような有力な研究成果にはお目にかかったことがありません。それどころか昨年には、「しきい値」なし、つまり低線量被曝の悪影響を裏付ける2つの調査結果が発表されています。一つは、「被ばく量が50ミリシーベルト以下でも発がん率が上昇する」というもので、世界各国約40万人の原子力産業労働者を対象とした疫学調査結果によるものです(British Medical Journal誌に掲載)。
今一つは、「低線量被曝健康リスク評価委員会(米国科学アカデミー内の機関)」が発表した「電離放射線の生物学的影響 第7報」です。これも低線量被曝における「しきい値」の不存在を裏付けるものとなっています。また、広島・長崎原爆の被曝生存者に対する追跡調査の結果からも、「しきい値」はどちらかといえば「ない」とされています(参考)。
低線量被曝に関しては、少なくとも心配無用などと断定すべきではないでしょう。放射能汚染については、「安全」などという曖昧な表現はやめて、せめて「悪影響はほとんどない」「悪影響は無視できるほど小さい」などといった表現を用いるべきと考えます。
程度はともかくとして、汚染の可能性のある食品については、ガンの発生率を押し上げる要因の一つとなりうるわけですから、例え規制値内あるいは検出限界未満の食品であっても、それを回避する行動を責めるわけにはいきません。そうした食品を摂取するかどうかの判断は、つまるところ、人それぞれの人生観や価値観によるのであって、勝手に安全だのなんだのと断定してほしくないのです。ちなみに私はタバコ吸いなので、食品に含まれる放射性物質については、現在はあまりこだわっていません。タバコを止めるほうが先ですね。
賛成派の主張③
「脱原発は結果として経済成長を阻害し、税収も減って国の財政が悪化する。また、電力不足による計画停電や節電命令と一層の電気料金値上げは一般庶民の生活にも多大な負担を与える。企業の海外移転も進み、産業の空洞化につながる。」
<反論>
まず、そもそも、本当に電力不足なのかが疑問である。5月4日号のFRIDAYにも次のような記事がありましたが、それが本当なら、ひどい話です。
『 FRIDAYが、神戸製鋼所に取材したところ、「昨年はわが社の神戸発電所から関電に140万kWの電力を販売した。さらに神戸製鉄所12万kWと加古川製鉄所45万kW、合計57万kWの能力がある。関電から依頼があれば供給を検討するが、現時点ではまだ依頼がない」という。関電は、このような購入できる独立系発電事業者(IPP)の電力を計算しないで、電力不足を煽っていることが明らかになった。 』
そもそも昨年の計画停電だって本当にその必要があったのか疑わしいところ。福島第一原発及び第二原発がすべて停止したままでも、需要電力をまかなうだけの十分な発電能力があったという主張もいくつもなされています。
さて、仮に計画停電、節電命令、電気料金値上げなどが回避できないとしても、それが経済成長を阻害して国民生活を脅かすと決めつけるのは、いかがなものだろうか。
確かに一時的には混乱と景気悪化をもたらすだろうけど、脱原発依存を打ち出しているんだから、地熱発電、メタンハイドレード利用などの有望な代替手段の開発・運用に早期に着手し、対象地域の企業に対しては助成金等の手当をしっかりと施すとともに節電の工夫を促していけば、決して乗り越えられないことはないと思う。
特に地熱発電に関しては、1基あたりの発電量は原発の10分の1程度だけど、建設コストや維持管理コストは格段に低いし、燃料も不要なので、地熱の多そうな日本にはまさにうってつけではないだろうか。ドイツなど諸外国でも研究は盛んで技術もかつてよりは大いに進んでいるし、地熱発電のことは日本でもっと喧伝されて然るべきなのに、マスコミではあまり取り上げられず、政府や電力会社からも積極的な言及がない。原発否定になって都合が悪いから口にしないのだろうか?
また、周波数の問題だって、大きな視点に立って、今後50Hzと60Hzを統一してもいいはずだ。技術的に多くの問題があるのは分かるけれども、10年、20年かかってもいいから周波数の統一に向けて進んでいくべきではないだろうか。経産省は費用の面から事実上困難だと匙を投げていますが、100年後もこれでいいはずがない。少しづつでいいから統一に向けて歩を進めるべきでしょう。いざというときの地域間の電力の融通量が少しでも増えれば、その分だけ電力不足は解消するではないか。
電気料金の値上げについても、原発を廃止して自然や国民を守る代償ということであれば、渋々とはいえ納得する人も多いはずだ。しかし、いわば電力の独占企業である電力会社が、自助努力もろくににせず、代替手段も半ば等閑に付し、事故の責任逃れに終始するような現状では、誰が素直に納得できようか。もちろん、関西地区等の中小零細企業にとっては死活問題であろうけど、ここは国が動くべき。何らかの補償をすべきでしょう。
以上で<反論>としての説明は終えますが、
原発事故が何を奪っていったか、何を後世に押し付けたかを賛成派の人はもう一度考えてみてほしい。
福島原発は何百年あるいはもっと長い期間にわたって管理しなければならないし、東北や関東に撒き散らした放射性物質も気が遠くなるほど先にならないと無くなりはしない。というか、今でも海に垂れ流し状態だ。
フクシマというブランドもほぼ灰燼に帰したといえる。日本はともかく、世界中でフクシマのものが購入されることは今後数十年はない。チェルノブイリ産の農産物と聞いても誰も買わないでしょう。もう26年も経つというのに。
経済を守るのも大事だけど、周辺で万一原発事故が起きたら、経済も何もないではないか。
こんな狭い国土で福島以上の事故が起きたら、一体どこに逃げるというのだろう。
ただでさえ日本は地震大国なのに、地震活動期に入ったとの専門家の発表もありましたよね。
原発は日本にはいらない。この国には危険すぎるのだ。
世界一の技術力を持っている日本だからこそ、率先して代替エネルギーの開発に大きく舵を切り、原発から離れていくべきだ。
以上