ヨハネス・クリソストムスの名言
モーツァルトの名前にも含まれるヨハネス(ヨハンネス、ヨハン)・クリソストムスという人の、ちょっと面白い名言を紹介したいと思います。
その前にモーツァルトについて少し。
モーツァルトの正式な名前(洗礼名のことか?)は、ヨハネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツアルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)です。
何でこんなに長いかというと、三人の人の名前を「モーツアルト」の前にくっつけているからです。
その筆頭に上げられているのがギリシアの司教ヨハネス・クリソストムス(345-407)であり、ヴォルフガングスはベネディクト会の修道士、テオフィルスはアンチオキア(アンティオキア)の司教です。
人の名前のことをああだこうだ言うつもりはありませんが、覚えるのが大変な名前です。
というか、「クリソストムス」だけでも十分に覚えにくい。
え? アマデウス?
そうですよね~。 映画の題名にもなりましたからね。
これは、モーツァルト自身がギリシャ語の「テオフィルス」の部分をラテン語の「アマデウス」に変更したとのことです。
いずれも「神に愛された者」を意味します。
ついでに言えば、モーツァルトが「ヨハンネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・アマデウス・ジギスムントゥス・モザルトゥス」と名乗っていた、という話も伝えられているそうです。
それにしても長いですよね。
倖田來未(こうだくみ)の「來未」も何度見ても覚えられないけど、それに匹敵するかもしれない…。
さて、
ヨハネス・クリソストムス(クリュゾストムス、クリュソストモス、クリュゾストモス、 ああ、もうどうでもいいか…。)という人は、実はわりと有名な古代ギリシャの司教・説教家であって説教が非常に上手だったことで知られています。「聖人」ですので、一般的には聖クリソストムスなんて呼ばれています。
かなり昔ですが、たしか「カトリック聖人集」みたいな本に載っていたのを読んだ覚えがあります。
実は「クリュゾストモス」というのは死後に名付けられた名前で「黄金の口」「金口」という意味があるそうです。それだけ説教が素晴らしかったんでしょうね。
同じ4世紀の後半には、聖ヒエロニムス(330-420)、聖アウグスティヌス(354-430)、聖アンブロシウス(340-97)というそうそうたる教父たちがいたわけですが、聖クリソストムスも決して外してはならない教父です。
クラシックに詳しい人であれば、チャイコフスキーの「聖ヨハネス(ヨハネ)・クリソストムスの典礼」という曲を知っているかもしれません。
そんなクリソストムスですが、知ってる人はかなり少ないでしょうね…。
クリソストムス=説教 と覚えておけば間違いないと思います。(別に覚えなくてもいいですが…。)
えー、
前置きが長くなりました。
ちょっと面白い名言というのは、
☆☆☆
明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。朝が仕事を仕上げてもってきてくれるわけではない。
☆☆☆
というものです。
当たり前と言えば当たり前なのですが、自分を振り返ると「夕方や夜や明日や明後日が仕事を仕上げてもってきてくれる」と思っていたりすることがなくもない。
「必ず後でやる」と心に決めていたとしても、結局やらないでずるずる遅れてしまうことが時々ある。
すぐにやりたくないから後回しにするわけで、その仕事がずるずる遅れやすいのはいかにも自然です。
だからこそ、「明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。」と戒める必要があるのだと思います。
他に二つばかりヨハネス・クリソストムスの言葉を紹介したいと思います。
長い文章にお付き合いくださり感謝です。
☆☆☆
おお、マリアの言い表しがたき称賛よ、ヨセフは彼女の胎よりも彼女の貞節によりいっそう信頼し、また本性によりも恩寵によりいっそう信頼した。彼はマリアが罪を犯すことができるということよりもむしろ一人の女にとって男なしに懐胎することが可能であると信じた。
(注)
マリアは聖母マリアのマリア、キリストの母のマリアのことです。
あなたは、公衆の面前で自己を曝露するとか、他人の前で悔い改める必要はない。ただ、「汝の道を主にあらわせ」と言っている預言者のことばに従うことを望むのである。祈りをもって、まことの審判者である神の前に罪を告白せよ。舌によらずして良心の記憶をもって、自分の誤ちを明言せよ。
☆☆☆
その前にモーツァルトについて少し。
モーツァルトの正式な名前(洗礼名のことか?)は、ヨハネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツアルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)です。
何でこんなに長いかというと、三人の人の名前を「モーツアルト」の前にくっつけているからです。
その筆頭に上げられているのがギリシアの司教ヨハネス・クリソストムス(345-407)であり、ヴォルフガングスはベネディクト会の修道士、テオフィルスはアンチオキア(アンティオキア)の司教です。
人の名前のことをああだこうだ言うつもりはありませんが、覚えるのが大変な名前です。
というか、「クリソストムス」だけでも十分に覚えにくい。
え? アマデウス?
そうですよね~。 映画の題名にもなりましたからね。
これは、モーツァルト自身がギリシャ語の「テオフィルス」の部分をラテン語の「アマデウス」に変更したとのことです。
いずれも「神に愛された者」を意味します。
ついでに言えば、モーツァルトが「ヨハンネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・アマデウス・ジギスムントゥス・モザルトゥス」と名乗っていた、という話も伝えられているそうです。
それにしても長いですよね。
倖田來未(こうだくみ)の「來未」も何度見ても覚えられないけど、それに匹敵するかもしれない…。
さて、
ヨハネス・クリソストムス(クリュゾストムス、クリュソストモス、クリュゾストモス、 ああ、もうどうでもいいか…。)という人は、実はわりと有名な古代ギリシャの司教・説教家であって説教が非常に上手だったことで知られています。「聖人」ですので、一般的には聖クリソストムスなんて呼ばれています。
かなり昔ですが、たしか「カトリック聖人集」みたいな本に載っていたのを読んだ覚えがあります。
実は「クリュゾストモス」というのは死後に名付けられた名前で「黄金の口」「金口」という意味があるそうです。それだけ説教が素晴らしかったんでしょうね。
同じ4世紀の後半には、聖ヒエロニムス(330-420)、聖アウグスティヌス(354-430)、聖アンブロシウス(340-97)というそうそうたる教父たちがいたわけですが、聖クリソストムスも決して外してはならない教父です。
クラシックに詳しい人であれば、チャイコフスキーの「聖ヨハネス(ヨハネ)・クリソストムスの典礼」という曲を知っているかもしれません。
そんなクリソストムスですが、知ってる人はかなり少ないでしょうね…。
クリソストムス=説教 と覚えておけば間違いないと思います。(別に覚えなくてもいいですが…。)
えー、
前置きが長くなりました。
ちょっと面白い名言というのは、
☆☆☆
明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。朝が仕事を仕上げてもってきてくれるわけではない。
☆☆☆
というものです。
当たり前と言えば当たり前なのですが、自分を振り返ると「夕方や夜や明日や明後日が仕事を仕上げてもってきてくれる」と思っていたりすることがなくもない。
「必ず後でやる」と心に決めていたとしても、結局やらないでずるずる遅れてしまうことが時々ある。
すぐにやりたくないから後回しにするわけで、その仕事がずるずる遅れやすいのはいかにも自然です。
だからこそ、「明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。」と戒める必要があるのだと思います。
他に二つばかりヨハネス・クリソストムスの言葉を紹介したいと思います。
長い文章にお付き合いくださり感謝です。
☆☆☆
おお、マリアの言い表しがたき称賛よ、ヨセフは彼女の胎よりも彼女の貞節によりいっそう信頼し、また本性によりも恩寵によりいっそう信頼した。彼はマリアが罪を犯すことができるということよりもむしろ一人の女にとって男なしに懐胎することが可能であると信じた。
(注)
マリアは聖母マリアのマリア、キリストの母のマリアのことです。
あなたは、公衆の面前で自己を曝露するとか、他人の前で悔い改める必要はない。ただ、「汝の道を主にあらわせ」と言っている預言者のことばに従うことを望むのである。祈りをもって、まことの審判者である神の前に罪を告白せよ。舌によらずして良心の記憶をもって、自分の誤ちを明言せよ。
☆☆☆