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現実の恐怖について

シェークスピアの小説からの言葉。


 ☆☆☆
 

 現実の恐怖は心に描く恐怖ほど怖くない

     シェークスピア「マクベス」より


 ☆☆☆


シェークスピアはイギリスの劇作家・詩人で、フルネームはウィリアム・シェークスピアといいます。

1564年生まれなので、日本で言えば戦国時代のわりと終わりの方なのですが、なんともピンとこない年代ですよね。
織田信長と豊臣秀吉が政権争いを始める安土桃山時代のさらに10年ぐらい前と言ったら分かりやすいでしょうか。

そのシェークすピアの作品のうち「ハムレット」「オセロー」「リア王」「マクベス」の四つは「四大悲劇」と言われており特に有名です。

その「マクベス」からの言葉を紹介しました。


「現実の恐怖は心に描く恐怖ほど怖くない」と言われても、現実の恐怖もやっぱり怖いと私なんかは思ってしまいます。

同じぐらい苦しいよ、と。

でも、心に描く恐怖がある意味では現実の恐怖より怖いのかもしれません。

現実の恐怖は、その時目の前に恐怖の原因があって、大体どの程度の恐怖なのかが分かるのですから、一応限りのある恐怖と言えます。

これに対して心に描く恐怖というのは、およそその広さも深さも限りがないし、うまく制御しないとどこまでも突き進んでしまうという部分があります。

制御するのは難しいですが、やりようはあると思います。


私のことを例に出しますが、

恐怖にとらわれて「絶対に無理」とか「必ず、ひどい苦しみに追い込まれる」などと思い込んでいる私にある先生(大学の保健管理センターの精神科医だったかと思います。)が、

「なんとか頑張れている自分を心にイメージしてごらん。」

というようなアドバイスをくださいました。


昔のことなので実際はこんな言い方ではなかったと思いますが、言葉のニュアンスはそういった感じでした。

当時はそれでも素直に受け入れることは出来ず、イメージしても無理に決まってる、などと感じていました。

結局、先生に言われたとおりにイメージすることもなく、恐怖心を克服するというわけにはいきませんでした。


やりようがあると言っておきながら、こんな例を出すのはやや不適当だったかもしれませんが、

今だから思うのですが、

時と場合とやり方によっては、とてもいい効果があるような気がします。
心に描く恐怖とはいっても一応、実体験に基づいた恐怖ではあるのですが、先のことを頑なに決め付けるというのはやはり、恐怖心に飲み込まれた状態と言えるのではないでしょうか?


やはり、恐怖心がありながらも、ある程度勇気を出して現実に入っていって砕け散る方が、ただ恐怖心から逃げているだけの状態よりは得るものが多いと思います。ですから冷静に判断して「いける」と思ったなら思い切って行くべきではないかと思います。


その辺の判断は本人自身しかできないと思います。


周りは何もいいようがありません。何が適切な判断かなんてはっきり言って分かりません。


だから、
甘えようと思えばいくらでも甘えられる。

心の中は調べようがないという事実を逆手にとって、密かにあるいはおおっぴらに周りをごまかすことが可能です。


これが天下分け目の関が原です。


シェークスピアの言葉の趣旨からはやや離れますが、
自分が本来どうしたいのかをきちんと見極めたうえで、心の中の恐怖心とよく相談して、冷静かつ大胆に行動していくのがベストではないかと思います。

恐怖心自体は悪者ではありませんので、完全に消そうと思うのは全く荒唐無稽な話です。恐怖心は、心が放つ自然な警戒信号なのですから。

どうやって恐怖心を消すかではなくて、
いかにして恐怖心とうまくつきあっていくか。

このように視点を変えてみると、
きっと良い結果が生まれると思います。


今日は時間がないので、これにて。



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