「イワンの馬鹿」全文掲載その2。 イワンに学ぶ。
前回の続きです。
☆☆☆
八
イワンは家(うち)にいて両親を養い、唖(おし)の妹を相手に野ら仕事をして暮しました。
さて、あるときのこと、イワンの家(うち)の飼犬が、病気にかかってからだ中おできだらけになり、今にも死にそうになりました。イワンはそれをかわいそうに思って、妹からパンを貰って、それを帽子に入れて持って行き、犬に投げてやりました。
ところが、その帽子が破れていたので、れいの小悪魔から貰った小さな木の根が、一つ地べたに落ちました。老(とし)よった犬はパンと一しょにその根を食べていました。そしてそれをのみ下したと思うと、急に、はね廻り、吠え、尾をふりはじめました。――つまり元通り元気になったのでした。
父親も母親もそれを見てすっかりおどろきました。
「どうして犬をなおしたのだ。」と親たちはたずねました。
「わしはどんな病気でもなおすことの出来る根っこを二本持っていた。それを一つこの犬がのんだのだ。」とイワンは答えました。
ところが、ちょうどその頃、王様のお姫様が病気にかかりました。王様は町々村々へおふれを出して、姫をなおした者には望み次第のほう美を与える、もしそのなおした者におよめさんがなかったら、姫をおよめさんにやるとつたえさせました。このおふれはイワンの村にも廻って来ました。
イワンの父親と母親は、イワンを呼んで言いました。
「お前王様のおふれを聞いたかね。お前の話と、どんな病気でもなおせる木の根っ子を持っているそうだが、これから一つ出かけてなおしてあげないかな。そうすりゃお前、これから一生幸福(しあわせ)に暮せるわけだがね。」
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そこでイワンは、出かける仕度をしました。
イワンの両親は、イワンに一番いい着物を着せました。ところがイワンが戸口を出るとすぐ、手萎(てなえ)の乞食ばあさんに、出あいました。
「人の話で聞いて来たが、お前様は人の病気をなおしなさるそうだが、どうかこの手をなおしておくんなさい。わしゃ一人じゃ靴もはけないからな。」とそのばあさんは言いました。
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そして、例の木の根っ子をくれてやって、それをのめとおばあさんに言いました。
乞食ばあさんは、それをのんで、なおりました。手はわけなく動かすことが出来るようになりました。
父親と母親は、イワンについて王様のところまで行くつもりで、やって来ましたが、イワンがその根っ子をやってしまって、お姫様をなおすのが一本もなくなったと聞いて、イワンを叱りました。
「お前は乞食女をあわれんで、王様のお姫様をお気の毒とは思わないのだ。」と言いました。
しかし、イワンは、王様のお姫様もやはり気の毒だと思っていました。それで、馬の仕度をすると、荷車の中に藁をしいてその上に坐り、馬に一むちくれて出かけようとしました。
「どこへ行くんだ、馬鹿!」
「王様のお姫様をなおしに。」
「だがお前はもう一本もなおせるものをもっていないじゃないか。」
「ううん、大丈夫。」とイワンは言いました。そして馬を出しました。
イワンは王様の御殿へ馬を走らせました。
ところが、イワンがその御殿の閾(しきい)をまたぐかまたがないうちに、お姫様はなおりました。
王様は大そう喜んで、イワンをおそば近く呼んで、大へん立派な衣しょうを着せました。
「わしの婿になれ。」と王様はおっしゃいました。
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そこでイワンは、お姫様と御こんれいしました。
そのうち王様はまもなくおかくれになったので、イワン[#「ン」は底本では重複]は王様になりました。
こうして三人の兄弟は一人のこらず王様になりました。
九
三人の兄弟はこうして、それぞれ王様になって国を治めました。
長男の兵隊のシモンは大へんゆたかになりました。
シモンは藁の兵隊でほんとの兵隊を集めました。
かれは国中にふれを出して、家十軒ごとに兵隊一人ずつ出させました。
ところがその兵隊はみんな背が高くて、かおかたちの立派なものでなくてはならないのでした。
シモンはそんな兵隊をたくさん集めて、うまくならしておきました。
そしてもし自分にさからう者があると、すぐさまこの兵隊をさし向けて、思い通りにしまつをしたので、誰もがシモンを恐がり出すようになりました。
がしかし、シモンの暮しは大へんゆかいなものでした。
眼について欲しいなと思ったものは何でもシモンの所有(もの)でした。シモンが兵隊をさし向けると、兵隊はシモンの欲しいものを立ちどころに持って来ました。
肥満(ふとっちょ)のタラスもまたゆかいに暮していました。
タラスはイワンから貰った金を少しもむだに使いませんでした。使わないばかりか、ますますそれを殖やしました。タラスは自分の国中におきてやさだめを作りました。
金はみんな金庫へしまい、人民には税金をかけました。
人頭税や、人や馬車には通行税、靴、靴下税、衣しょう税などをかけました。
それからなお、自分で欲しいと思ったものは、何でも手に入れました。金のためには人民は何でも持って来るし、またどんな働きでもしました。――と言うのは、人民たち誰もかれもが金が要ったからでした。
イワンの馬鹿もやはり悪い暮しはしませんでした。
亡くなった王様のおとむらいをすますとすぐ、王様の服をぬいで妃に箪笥(たんす)へしまわせました。
そしてまた元の粗末な麻のシャツや股引(ももひき)、百姓靴をつけて、百姓仕事にかえりました。
「あれじゃとてもやりきれない。退屈で、おまけにからだがぶくぶくに肥(ふと)って来るし、食物(たべもの)はまずく、寝りゃからだがいたい。」とイワンは言いました。
そして両親や唖の妹をつれて来て元のように働きはじめました。
「あなたは王様でいらせられます。」と人民の者が言いました。
「そりゃそれにちがいない。だが王様だって食わなけりゃならん。」とイワンは言いました。
そこへ大臣の一人がやって来て言いました。
「金がないので役人たちに払うことが出来ません。」
「いいとも、いいとも。なけりゃ払わんでいい。」とイワンは言いました。
「でも払わないと、役についてくれません。」
「いいとも、いいとも。役につかないがいい。そうすりゃ、働く時間がたくさんになる。役人たちに肥料(こやし)を運ばせるがいい。それに埃(ごみ)はたくさんたまっている。」
そこへ人民たちが、裁判してもらいにやって来ました。
そして中の一人が、言いました。
「こいつが私の金を盗みました。」
するとイワンは言いました。
「いいとも、いいとも。そりゃこの男に金が要ったからじゃ。」
そこで人民たちはイワンが馬鹿だと言うことに気がつきました。
そこで妃はイワンにこう言いました。
「人民どもはみなあなたのことを馬鹿だと申しております。」
するとイワンは言いました。
「いいとも、いいとも。」
妃はそれでいろいろ考えてみました。
しかし妃もやはり馬鹿でした。
「夫にさからってはいいものかしら、針の行くところへは糸も従って行くんだもの。」と思いました。
そこで妃は着ていた妃の服をぬいで箪笥にしまい、唖娘のところへ行って百姓仕事を教わりました。
そしてぼつぼつ仕事をおぼえると、夫の手だすけをしはじめました。
そこで賢い人はみんなイワンの国から出て行き、馬鹿ばかり残りました。
誰も金を持っていませんでした。みんなたっしゃで働きました。
お互いに働いて食べ、また他の人をも養いました。
一〇
年よった悪魔は、三人の兄弟を取っちめたと言うたよりが来るか来るかと待っていました。
が待っても待っても来ませんでした。
そこで自分で出かけて行って、調べはじめました。
かれはさんざんさがしまわりました。
ところが三人の小悪魔にはあえないで、三つの小さな穴を見つけただけでした。
「てっきりやりしくじったにちがいない。そうとすりゃおれがやりゃよかった。」
そこで三人の兄弟をさがしに出かけましたが、かれらは元のところには住んでいないで、めいめいちがった国にいるのがわかりました。
三人が三人とも、いい身分になって、立派に国を治めていました。
それが、年よった悪魔をひどく困らせました。
「ようし。じゃおれの腕でやらなくちゃなるまい。」と年よった悪魔は言いました。
年よった悪魔は、まず一番にシモン王のところへ、出かけました。
しかし自分のほんとの姿ではなく、将軍の姿にばけて、シモンの御殿へのり込みました。
「シモン王様。」と年寄りの悪魔は言いました。
「かねてお勇ましい御名前はよくうけたまわっております。つきまして、私(わたくし)も兵のことについてはいろいろと心得ております。ぜひあなたに御奉公申し上げたいと存じます。」と言いました。
シモン王は、いろいろたずねてみました。
そして、かれが役にたつことがわかったので、そば近く置いて使うことにしました。
この新しい司令官は、シモン王に強い軍隊の作りかたを教えはじめました。
「まず第一にもっと兵隊を集めましょう。国にはまだうんと遊んでいるものがおります。若い者は一人残らず兵隊にしなくちゃいけません。すると今の五倍だけの兵隊を得ることになります。次には新しい銃と大砲を手に入れなくちゃなりません。私(わたくし)は一時に五百発の弾丸(たま)を打ち出す銃をお目にかけることにいたしましょう。それは弾丸(たま)が豆のように飛び出します。さてそれから大砲も備えましょう。この大砲はあたれば人でも馬でも城でも焼いてしまいます。何でもみんな燃えてしまう大砲です。」
シモン王はこの新しい司令官の言うことに耳をかたむけて、国中の若者残らずを兵隊にしてしまい、また新式の銃や大砲をつくるために、新しくたくさんの工場をたてて、それらのものをこさえさせました。
やがて、シモン王は、隣りの国の王に戦をしかけました。
そして敵の軍隊に出あうやいなや、シモン王は兵隊たちに命令して新しい銃や大砲を雨霰(あめあられ)のように打ちかけて、またたく間に敵の軍隊の半分を打ち倒してしまいました。
そこで隣の国の王はふるえ上って降参し、その領地のすべてを引きわたしました。
シモン王は大喜びでした。
「今度は印度王をうち平げてやろう。」とシモン王は言いました。
ところが印度王はシモン王のことを聞いて、すっかりその考えをまねてしまいました。
そしてそればかりでなく、自分の方でいろいろと工夫しました。印度王の兵隊は、若い者ばかりでなく、よめ入前の娘まで加えて、シモン王の兵隊よりもずっとたくさんの兵隊を集めました。
その上シモン王の銃や大砲とそっくり、同じものを作り、なお空を飛んで爆弾を投げ下す方法まで考えつきました。
シモン王は、隣の国の王を打ち負かしたと同じように印度王を負かしてやろうと考えて、いよいよ戦をはじめました。
けれども、そんなに切れ味のよかった鎌も、今ではすっかり刃がかけてしまっていました。
印度王はシモンの兵隊が弾丸(たま)のあたる場所まで行かないうちに、娘たちを空へ出して爆弾を投げ下させました。
娘たちは、まるで油虫(あぶらむし)に砂でもまくように、シモンの兵隊の上に、爆弾を投げ下しました。
そこで、シモン王の兵隊は逃げ出し、シモン王一人だけ、とり残されてしまいました。印度王はシモンの領地を取り上げてしまい、兵隊のシモンは命からがら逃げ出しました。
さて、年よった悪魔はこちらを片づけたので今度はタラス王の方へ向いました。
かれは商人に化けてタラスの国に足をとめ、店を出して、金を使いはじめました。
かれは何を買っても大へん高くお金を払うので、誰もかもお金欲しさに、どしどしこの新しい商人のところへ集まって来ました。
そこで大したお金が人々のふところに入って、人民たちはとどこおりなく税金を払うことが出来ました。
タラス王はほくほくもので喜びました。
「今度来たあの商人は気に入った。これでおれはよりたくさんの金を残すことが出来た。したがっておれの暮しはますますゆかいになるというものだ。」とタラス王は思いました。
そこでタラス王は、新しい御殿をたてることにしました。
かれは掲示を出して、材木や石材などを買入れることから、人夫を使うことをふれさせ、何によらず高い価(ね)を払うことにしました。
タラス王はこうしておけば、今までのように人民たちが先を争って来るだろう、と考えていました。
ところが、驚いたことには、材木も石材も人夫もすっかりれいの商人のところへ取られてしまいました。
タラス王は価(ね)を引き上げました。
すると商人は、それよりもずっと上につけました。
タラス王はたくさんの金がありましたが、れいの商人はもっとたくさん持っています。
で、商人は何から何までタラス王の上に出ました。
タラス王の御殿はそのままで、普請(ふしん)はちっともはかどりませんでした。
タラス王は庭をこさえようと考えました。秋になったので、その庭へ木を植えさせるつもりで、人民たちを呼びましたが、誰一人やって来ませんでした。
みんな、れいの商人の家(うち)の池を掘りに行っていました。
冬が来て、タラス王は、新しい外套につける黒貂(くろてん)の皮が欲しくなったので、使(つかい)の者に買わせにやりました。
すると使のものは帰って来て、言いました。
「黒貂の皮は一枚もございません。あの商人がすっかり高価(たかね)で買いしめてしまって、敷物をこさえてしまいました。」
タラス王は今度は馬を買おうと思って、使をやりました。すると使の者が帰って来て言いました。
「あの商人が、残らず買ってしまいました。池に満たす水を運ばすためでございます。」
タラス王のすることは、何もかも、すっかり止まってしまいました。
人民たちは誰一人タラス王の仕事をしようとはしませんでした。毎日せっせと働いて、例の商人から貰った金を、王のところへ持って来て納めるだけでした。
こうして、タラス王はしまい切れないほどの金を集めることは出来ましたが、その暮しといったら、それはみじめになりました。
王はもういろんなくわだてをやめて、ただ生きて行けるだけでがまんするようになりましたが、やがてそれも出来なくなりました。
すべてに不自由しました。
料理人も、馭者(ぎょしゃ)も、召使も、家来も、一人々々王を置き去りにして、れいの商人のところへ行ってしまいました。
まもなく食物(たべもの)にもさしつかえるようになりました。市場へ人をやってみると、何も買うものがありませんでした。――つまり例の商人が何もかも買い占めてしまって、人民たちはただ税金だけ王のところへ納めに来るだけでした。
タラス王は大へん腹を立てて、例の商人を国より外へ追い出してしまいました。
ところが商人は、国ざかいのすぐ近くへ住まって、やはり前と同じようにやっています。
人民たちは金欲しさに王をのけ者にしてしまって、何でもすべて商人のところへ持って行ってしまいました。
タラスはいよいよ困ってしまいました。何日もの間、食べるものがありませんでした。
そしてうわさに聞くと、例の商人は今度はタラス王を買うと言って、いばっていると言うことでした。
タラス王はすっかり胆をつぶして、どうしていいかわからなくなってしまいました。
ちょうどこの時兵隊のシモンがやって来て、
「助けてくれ、印度王にすっかりやられてしまった。」と言いました。
しかし、タラス王自身も動きのとれないくらい苦しい立場になっていましたので、
「おれももう二日間というもの何一つ食べるものがないのだ。」と言いました。
一一
二人の兄たちを取っちめてしまった年よった悪魔は、今度はイワンの方に向いました。
かれは将軍の姿に化けて、イワンのところへ行って、軍隊をこさえなければいけないとすすめました。
「軍隊がなくては王様らしくありません。一つ私に命令して下されば私は人民たちから兵隊を集めて、こさえて御覧に入れます。」と言いました。
イワンはかれのいうことをじっと聞いていましたが、
「いいとも、いいとも。じゃ一つ軍隊をこさえて唄を上手に歌えるようにしこんでくれ。私は兵隊が歌うのを聞くのは好きだ。」と言いました。
そこで年よった悪魔は、イワンの国中を廻(めぐ)って兵隊を集めにかかりました。
かれは人々に、軍隊に入れば酒は飲めるし、赤いきれいな帽子を一つ貰える、と話しました。
人々は笑って「酒はおれたちで造るんでどっさりある。
それに帽子はすじの入った総(ふさ)つきのでも女たちがこさえてくれる。」と言いました。
そして誰一人兵隊になるものがありませんでした。
年よった悪魔はイワンのところへ帰って来て、言いました。
「どうも馬鹿共は、自分で進んでやろうとはしません。あれじゃいやでも入らせなくちゃなりませんでしょう。」
「いいとも、いいとも。やってみるがいい。」とイワンは言いました。
そこで年よった悪魔は、人民たちはすべて兵隊に入らなくてはならない。
これを拒むものはイワン王が死刑にしてしまわれるだろう、というおふれを出しました。
人民たちは将軍のところへやって来て、言いました。
「兵隊にならなければイワン王が死刑にしてしまうと言っているが、兵隊になったらどんなことをするのかまだ話を聞かせてもらわない。兵隊は殺されると聞いているがほんとかい。」
「うん、そりゃ時には殺される。」
これを聞いて人民たちはどうしてもきかなくなりました。
「じゃ、兵隊に行かないことにしよう。それよっか家(うち)で死んだ方がましだ。どうせ人間は死ぬもんだからな。」と人民たちは言いました。
「馬鹿!お前たちはまったく馬鹿だ!兵隊に行きゃ必ず殺されるときまってやしない。だが行かなきゃイワン王に殺されてしまうんだぞ。」
人民たちはまったく途方にくれてしまいました。
そしてイワンの馬鹿のところへ相談に行きました。
「将軍さまが、わしらに兵隊になれとおっしゃる。兵隊になりゃ殺されることがある。しかしならなきゃ、イワン王がわしらをみんな殺される、と言う話ですがほんとですか。」
イワンは大笑いして言いました。
「さあ、わしにもわからん。わし一人でお前さん方をみんな殺すことは出来ないしな。わしが馬鹿でなかったら、そのわけを話すことも出来るが、馬鹿なんでさっぱりわからんのじゃ。」
「それじゃわしらは兵隊にゃなりません。」と人民たちはいいました。
「いいとも、いいとも。ならんでいい。」とイワンは答えました。
そこで人民たちは、将軍のところへ行って、兵隊になることをことわりました。
年よった悪魔はこの企ての駄目なことを見て取りました。
そこでイワンの国を出て、タラカン王のところへ行って言いました。
「イワン王と戦をしてあの国を取ってしまってはいかがでしょう。あの国には金はちっともありませんが、穀物でも牛馬(うしうま)でも、その他何でもどっさりあります。」
そこでタラカン王は戦のしたくに取りかかり、大へんな軍隊を集めて、銃や大砲をよういすると、イワンの国へおしよせました。
人民たちは、イワンのところへかけつけてこう言いました。
「タラカン王が大軍をつれて攻めよせて来ました。」
「あ、いいとも、いいとも。来さしてやれ。」とイワンは言いました。
タラカン王は、国ざかいを越えると、すぐ斥候を出して、イワンの軍隊のようすをさぐらせました。
ところが、驚いたことにさぐってもさぐっても軍隊の影さえも見えません。
今にどこからか現われて来るだろうと、待ちに待っていましたが、やはり軍隊らしいものは出て来ません。
また、だれ一人タラカン王の軍隊を相手にして戦するものもありませんでした。
そこでタラカン王は、村々を占領するために兵隊をつかわしました。兵隊たちが村に入ると、村の者たちは男も女も、びっくりして家(うち)を飛び出し、ものめずらしそうに見ています。兵隊たちが穀物や牛馬などを取りにかかると、要るだけ取らせて、ちっとも抵抗(てむかい)しませんでした。
次の村へ行くと、やはり同じことが起りました。
そうして兵隊たちは一日二日と進みましたが、どの村へ行っても同じ有様でした。
人民たちは何でもかでも兵隊たちの欲しいものはみんな持たせてやって、ちっとも抵抗(てむかい)しないばかりか、攻めに来た兵隊たちを引きとめて、一しょに暮そうとするのでした。
「かわいそうな人たちだな。お前さんたちの国で暮しが出来なけりゃ、どうしておれたちの国へ来なさらないんだ。」と村の者たちは言うのでした。
兵隊たちはどんどん進みました。
けれどもどこまで行っても軍隊にはあいませんでした。
ただ働いて食べ、また人をも食べさせてやって、面白く暮していて、抵抗(てむかい)どころか、かえって兵隊たちにこの村に来て一しょに暮せという者ばかりでした。
兵隊たちはがっかりしてしまいました。
そして、タラカン王のところへ行って言いました。
「この国では戦が出来ません。どこか他の国へつれて行って下さい。戦はしますがこりゃ一たい何ごとです。まるで豆のスープを切るようなものです。私たちはもうこの国で戦をするのはまっぴらです。」
タラカン王は、かんかんに怒りました。
そして兵隊たちに、国中を荒しまわって、村をこわし、穀物や家を焼き、牛馬をみんな殺してしまえと命令しました。
そして、
「もしもこの命令に従わない者は残らず死刑にしてしまうぞ。」と言いました。
兵隊たちはふるえ上って、王の命令通りにしはじめました。
かれらは、家や穀物などを焼き、牛馬などを殺しはじめました。
しかし、それでも馬鹿たちは抵抗(てむか)わないで、ただ泣くだけでした。
おじいさんが泣き、おばあさんが泣き、若い者たちも泣くのでした。
「何だってお前さん方あ、わしらを痛めなさるだあ、何だって役に立つものを駄目にしなさるだあ。欲しけりゃなぜそれを持って行きなさらねえ。」と人民たちは言うのでした。
兵隊たちはとうとうがまんが出来なくなりました。
この上進むことが出来なくなりました。
それで、もういうことをきかず、思い思いに逃げ出して行ってしまいました。
一二
年よった悪魔はこの手段を止(よ)す外(ほか)ありませんでした。
兵隊を使ったんじゃ、とてもイワンを取っちめることは出来ませんでした。
そこで今度は姿をかえて、立派な紳士に化けて、イワンの国に住みこみました。
かれは肥満(ふとっちょ)のタラスをやっつけたように、金の力でイワンをやっつけてやろうと考えたのです。
「一つ私はあなた様にいいことをしたいと思います。よい智慧をおかししたいと存じます。で、まずお国に家を一軒たてて、商売をはじめましょう。」と年よった悪魔は言いました。
「いいとも、いいとも。気に入ったらこの国へ来て暮してくれ。」とイワンは言いました。
翌くる朝この立派な紳士は、金貨の入った大きな袋と一枚の紙片(かみきれ)を持って広小路へ出て、こう演説しました。
「お前たちはまるで豚のような生活をしている。私はお前たちにもっといい暮し方を教えてやる。お前たちはこの図面を見て一つ家をこさえてくれ。お前たちはただ働けばよろしい。そのやり方は私が教え、おれいは金貨で払ってやる。」
そう言ってかれは金貨をみんなに見せました。
馬鹿な人民たちはびっくりしました。
かれらの間には、これまで金と言うものがありませんでした。
かれらは品物と品物を取かえ合ったり、仕事は仕事でかんじょうし合っていたのでした。
そこでみんなは、金貨を見て驚きました。
「まあ、何て重宝なもんだろう。」と言いました。
それで、かれらは品物をやったり仕事をしたりして、紳士の金貨と取っかえはじめました。
年よった悪魔は、タラスの国でやったと同じように、金貨をどしどし使い、人民たちは何でもかでも、またどんな仕事でも金貨と取っかえるためにやってのけました。
年よった悪魔はほくほくもので喜びました。
そして、
「今度はなかなか運びがいい。これじゃあの馬鹿もそのうちにタラス同様、身体(からだ)から霊(たましい)までおれのものにしてしまえるぞ。」とひとりで考えました。
しかし馬鹿どもは、金貨を手に入れるとすぐ、それを女たちにやって首飾にしてしまいました。娘たちはそれをおさげの中につけて飾りました。
そして後には子供たちが、往来のまん中で、玩具(おもちゃ)にして遊びはじめました。
誰もかも金貨をたくさん貰って持っていました。そこでもう貰おうとするものはなくなりました。
けれども立派な紳士の家は、半分も出来てはいないし、その年入用(いりよう)の穀物や牛などの用意も出来ていませんでした。
そこで働きに来てもらいたいことだの、穀物や牛などを買いたいことだのを知らせて、もっとたくさんの金貨をやることにしました。
しかし、働く人も、品物を持って来る人もありませんでした。
時たま男の子や女の子たちが走って来て、卵と金貨を取っかえてもらうくらいでした。
他には誰も来なかったので、紳士は食物(たべもの)一つありませんでした。
そこでれいの紳士は、空腹(すきはら)を抱えて何か食べるものを買おうと村へ行って、ある家(うち)に入りました。
そして、鳥を一羽売ってもらおうと思って金貨を一枚出しましたが、そこのおかみさんは、どうしてもそれを受取りませんでした。
「私ゃたくさん持っています。」と言いました。
今度は鰊(にしん)を買おうと思って、寡婦(ごけ)さんのところへ行って金貨を出すと、
「もうたくさんです。」と言いました。
「私の家(うち)にゃそれを持って遊ぶような子供はいないし、それにいいもんだと思ってもう三枚もしまってありますからな。」と言ってことわりました。
かれは今度は百姓家へ行って、パンと取っかえようとしました。
けれどもやはり受取ろうとはしません。
「そりゃいらない。だが、お前さんが『キリスト様の御名によって』とおっしゃるなら、ちょっと待ちなされ、家内に話して一片(ひときれ)貰って上げましょうから。」と言いました。
(『キリスト様の御名によって』という言葉は露西亜(ろしや)の乞食や巡礼たちが、物を下さいと言う前に必ず言う言葉で、「御生ですから」とか、「どうかお願いですから」といった意味の言葉です。)
それを聞くと悪魔は唾を吐いて逃げ出しました。
キリストの名を唱えたり聞いたりすることは、小刀(ナイフ)で突き倒されるよりも痛くこたえるからでした。
こうしてとうとうパンも手に入れることが出来ませんでした。
誰もかも金貨を持っていたので、年よった悪魔はどこへ行っても、金で何一つ買うことは出来ませんでした。
みんなたれもが、
「何か他の品物を持って来るか、でなけりゃここへ来て働くか、またはキリスト様の御名によっているものを貰うがいい。」と言います。
しかし、年よった悪魔は、金より他には何一つ持っていませんでした。
働くことはかれ大へんきらいなことだし、「キリスト様の御名によって」物を貰うことなどかれにはどうしたって出来ないことでした。
年よった悪魔はひどく腹をたててしまいました。
「おれが金をやると言うのに、それより他の何が欲しいと言うんだ。金さえありゃ何だって買えるし、どんな人夫だって雇えるんだ。」と悪魔は言いました。
しかし、馬鹿たちはそれに耳をかそうとはしませんでした。
「いいや、わしらには金は要らない。わしらにゃ別に払いがあるわけじゃなし、税金も要らないから、貰ったところで使い道がないからな。」と言うのでした。
年よった悪魔はひもじい腹を抱えて、ゴロリと横になりました。
すると、このことが、イワンの耳に入りました。
人民たちは、イワンのところへ来て、こうたずねました。
「どうしたもんでしょう、立派な紳士が倒れています。あの人は、食い飲みもするし着飾ることもすきだが、働くことがきらいで、『キリスト様の御名によって』物を貰うことをしません。ただ誰にでも金貨をくれます。世間じゃはじめのうちはあの人の欲しがるものをくれてやったが、金貨がたくさんになったので、今じゃ誰もあの人にくれてやるものがありません。どうしたもんでしょう、あのままじゃ餓(う)え死んでしまいます。」
イワンはじっと聞いていました。
そして、
「いいとも、いいとも。そりゃ、みんなで養ってやるがいい。牧羊者(ひつじかい)のように一軒一軒かわり番こに養ってやるがいい。」
これより外(ほか)に仕方がありませんでした。
年よった悪魔は、かわり番こに家々を廻って食事をさせてもらうようになりました。
そのうちに番が来て、イワンの家(うち)へ行くことになったので年よった悪魔は御馳走になりにやって来ました。
すると、れいの唖の娘が食事の仕度をしているところでした。
唖娘は今までに、たびたびなまけ者にだまされていました。
そんな者に限って、ろくすっぽ受持の仕事はしないで、誰よりも食事に早くやって来て、おまけに人の分まで平げてしまうのでした。
そこで娘は手を見て、なまけ者を見分けることにしました。
ごつごつした硬い手の人はすぐテイブルにつかせましたが、そうでない人は、食べ残しのものしかくれてやりませんでした。
年よった悪魔はテイブルにつきました。
すると唖娘は、早速その手を捉えて、調べにかかりました。
ところが手にはちっとも硬いところがありません。
すべすべしていて、爪が長く延びていました。
唖娘は唸りながら、悪魔をテイブルから引きはなしました。
するとイワンのおよめさんが言いました。
「悪く思わないで下さい。あれはごつごつした手を持った人でないと、テイブルにはつかせないんです。でもちょっとお待ちなさい。みんなが食べてしまったら、後でその残りをあげますから。」
年よった悪魔はひどく気を悪くしてしまいました。
王様の家(うち)で自分を豚同様に扱っているのです。
かれはイワンに言いました。
「誰もかも手を使って働かなきゃならないなんて、お前の国でももっとも馬鹿気(ばかげ)た律法(おきて)だ。こんなことを考えるのも言わばお前が馬鹿だからだ。賢い人は何で働くか知っているか?」
するとイワンは言いました。
「わしらのような馬鹿にどうしてそんなことがわかるもんか。わしらは大抵の仕事は手や背中を使ってやるんだ。」
「だから馬鹿と言うんだ。ところがおれは頭で働く方法を一つ教えてやろう。そうすりゃ手で働くより頭を使った方がどんなに得だかわかるだろう。」
イワンはびっくりしました。
そして、「そうだとすりゃ、なるほど私らを馬鹿だと言うのももっともだ。」と言いました。
そこで年よった悪魔は言葉をつづけて、
「しかしただ頭で働くのはよういじゃない。おれの手に硬いところがないと言ってお前たちはおれに食物(たべもの)をあてがわないが、頭で働くことはそれよりも百倍もむずかしいと言うことをちっとも知らない。時としちゃ、全く頭がさけてしまうこともある。」
イワンは深く考え込みまし[#「し」は底本では「じ」]た。
「ほう? じゃ、お前さん、お前さん自分自身でどうしてそんなに自分を苦めているんだね。頭が悪い時ゃ、気持はよくないだろうしね。それよりゃ手や背中を使ってもっと楽な仕事したらよさそうなもんだがね。」
しかし悪魔は言いました。
「おれがそんなことをするのも、みんなお前たち馬鹿どもがかわいそうだからだ。もしおれがそうしないと、お前たちゃいつまでたっても馬鹿だ。だが、おれは頭で仕事をしたおかげで、お前たちにそれを教えてやることが出来るんだ。」
イワンはびっくりしました。
「じゃ、わしらを教えてくれ。わしらの手が萎えしびれた時に、そのかわりに頭で仕事をするようにね。」とイワンは言いました。
悪魔は人民たちに教えることを約束しました。
そこでイワンは、あらゆる人たちに頭で働くことを教えることの出来る立派な先生が来たこと、その先生は手よりも頭でやる方がずっと仕事が出来ること、人民たちは残らずこの立派な先生に教わりに来てよく習わなければならないことだのを、ふれさせました。
イワンの国には一つの高い塔がありました。
その塔には、てっぺんにまで登ることの出来る階段がついていました。
イワンはすべての人民たちが顔をよく見ることが出来るように、その立派な紳士を塔の上へつれて行きました。
そこで、れいの紳士は、塔のてっペンに立って演説をしはじめ、人民たちはかれを見ようとして集まりました。
人民たちはこの紳士が手を使わないで頭で働く方法を見せてくれるものと思っていました。
しかし、かれはどうしたら働かないで生活(くらし)を立てて行けるかということを、くりかえしくりかえし話しただけでした。
人民たちは何が何だか、ちっともわかりませんでした。
人民たちは紳士を見、考え、また見ましたが、とうとうおしまいにはめいめいの仕事をするために立ち去りました。
年よった悪魔は塔のてっペンに一日中立っていました。
それから二日目もやはりたてつづけにしゃべりました。
しかしあまり長くそこに立っていたためにすっかりお腹を空(すか)してしまいました。
しかし、たれもが塔の上へ食物(たべもの)を持って行くことなど考えもしませんでした。
手で働くよりももっとよく頭で働くことが出来るとしたらパンのよういくらいはもちろんのことだと思ったからでした。
その次の日も、年よった悪魔は塔のてっペンに立ってしゃべりました。
人民たちは集まって来て、ちょっとの間立って見ていましたが、すぐ去って行きました。
イワンは人民たちに聞きました。
「どうだな。少しゃ頭で仕事をしはじめたかな。」
すると人民たちは言いました。
「いいや、まだはじめません。先生あいかわらずしゃべりつづけています。」
年よった悪魔はまた次の日も一日塔の上に立っていましたが、そろそろ弱って来て、前へつんのめったかと思うと、あかり取りの窓の側(そば)の、一本の柱へ頭を打っつけました。
それを人民の一人が見つけて、イワンのおよめさんに知らせました。
するとイワンのおよめさんは、野良に出ているイワンのところへ、かけつけました。
「来てごらんなさい。あの紳士が頭で仕事をやりはじめたそうですから。」
とイワンのおよめさんは言いました。
「ほう? そりゃほんとかな。」とイワンは言って、馬を向け直して、塔へ行きました。
ところがイワンが塔へ行きつくまでに、年よった悪魔はお腹が空いたのですっかり元気はなくなり、ひょろひょろしながら、頭を柱に打ちつけていました。
そしてイワンが塔へちょうどついた時、年よった悪魔はつまずいてころぶと、ごろごろと階段をころんで、その一つ一つに頭をゴツンゴツンと打ちつけながら、地べたへ落ちて来ました。
「ほう? やっぱりほんとだったな、人間の頭がさけると言ったのは。でも、こりゃ水腫(みずぶくれ)どころじゃない。こんな仕事じゃ、頭はコブだらけになってしまうだろう。」とイワンは言いました。
年よった悪魔は階段の一ばん下のところで一つとんぼがえりをして、そのまま地べたへ頭を突っ込みました。
イワンはかれがどのくらい仕事をしたか見に行こうとしました。――その時急に地面がぱっとわれて紳士は中へ落っこっちてしまいました。そしてそのあとにはただ一つの穴が残りました。
イワンは頭をかきました。
「まあ何ていやな奴だろう。また悪魔だ。大きなことばかり言ってやがって、きっとあいつらの親爺に違いない。」とイワンは言いました。
イワンは今でもまだ生きています。人々はその国へたくさん集まって来ます。
かれの二人の兄たちも養ってもらうつもりで、かれのところへやって来ました。
イワンはそれらのものを養ってやりました。
「どうか食物(たべもの)を下さい。」と言って来る人には、誰にでもイワンは、「いいとも、いいとも。一しょに暮すがいい。わしらにゃ何でもどっさりある。」と言いました。
ただイワンの国には一つ特別なならわしがありました。それはどんな人でも手のゴツゴツした人は食事のテイブルへつけるが、そうでない人はどんな人でも他の人の食べ残りを食べなければならないことです。
☆☆☆
読むのに10分ぐらいかかってしまったでしょうか?
お疲れ様でした。
頭脳労働を否定していると受け取られる方もいるかもしれませんが、私は必ずしもそうではないと思います。
頭脳労働でも頭に汗をかくものもあれば、頭に汗をかかないものもあります。
村上ファンドなんかは後者のような気がします。
小説家や弁護士は前者かな。
誘拐事件でニュースになったセレブ整形外科医(本来的な意味ではセレブではありませんが。)はどちらに入るでしょうか?
一応前者に含まれるでしょうが、年収12億とか聞くとなんか後者のようにも感じられます。
人は汗の量に見合った金額をもらうべきではないでしょうか?
トルストイもそういうことが言いたかったんだと思います。
☆☆☆
八
イワンは家(うち)にいて両親を養い、唖(おし)の妹を相手に野ら仕事をして暮しました。
さて、あるときのこと、イワンの家(うち)の飼犬が、病気にかかってからだ中おできだらけになり、今にも死にそうになりました。イワンはそれをかわいそうに思って、妹からパンを貰って、それを帽子に入れて持って行き、犬に投げてやりました。
ところが、その帽子が破れていたので、れいの小悪魔から貰った小さな木の根が、一つ地べたに落ちました。老(とし)よった犬はパンと一しょにその根を食べていました。そしてそれをのみ下したと思うと、急に、はね廻り、吠え、尾をふりはじめました。――つまり元通り元気になったのでした。
父親も母親もそれを見てすっかりおどろきました。
「どうして犬をなおしたのだ。」と親たちはたずねました。
「わしはどんな病気でもなおすことの出来る根っこを二本持っていた。それを一つこの犬がのんだのだ。」とイワンは答えました。
ところが、ちょうどその頃、王様のお姫様が病気にかかりました。王様は町々村々へおふれを出して、姫をなおした者には望み次第のほう美を与える、もしそのなおした者におよめさんがなかったら、姫をおよめさんにやるとつたえさせました。このおふれはイワンの村にも廻って来ました。
イワンの父親と母親は、イワンを呼んで言いました。
「お前王様のおふれを聞いたかね。お前の話と、どんな病気でもなおせる木の根っ子を持っているそうだが、これから一つ出かけてなおしてあげないかな。そうすりゃお前、これから一生幸福(しあわせ)に暮せるわけだがね。」
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そこでイワンは、出かける仕度をしました。
イワンの両親は、イワンに一番いい着物を着せました。ところがイワンが戸口を出るとすぐ、手萎(てなえ)の乞食ばあさんに、出あいました。
「人の話で聞いて来たが、お前様は人の病気をなおしなさるそうだが、どうかこの手をなおしておくんなさい。わしゃ一人じゃ靴もはけないからな。」とそのばあさんは言いました。
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そして、例の木の根っ子をくれてやって、それをのめとおばあさんに言いました。
乞食ばあさんは、それをのんで、なおりました。手はわけなく動かすことが出来るようになりました。
父親と母親は、イワンについて王様のところまで行くつもりで、やって来ましたが、イワンがその根っ子をやってしまって、お姫様をなおすのが一本もなくなったと聞いて、イワンを叱りました。
「お前は乞食女をあわれんで、王様のお姫様をお気の毒とは思わないのだ。」と言いました。
しかし、イワンは、王様のお姫様もやはり気の毒だと思っていました。それで、馬の仕度をすると、荷車の中に藁をしいてその上に坐り、馬に一むちくれて出かけようとしました。
「どこへ行くんだ、馬鹿!」
「王様のお姫様をなおしに。」
「だがお前はもう一本もなおせるものをもっていないじゃないか。」
「ううん、大丈夫。」とイワンは言いました。そして馬を出しました。
イワンは王様の御殿へ馬を走らせました。
ところが、イワンがその御殿の閾(しきい)をまたぐかまたがないうちに、お姫様はなおりました。
王様は大そう喜んで、イワンをおそば近く呼んで、大へん立派な衣しょうを着せました。
「わしの婿になれ。」と王様はおっしゃいました。
「いいとも、いいとも。」とイワンは言いました。
そこでイワンは、お姫様と御こんれいしました。
そのうち王様はまもなくおかくれになったので、イワン[#「ン」は底本では重複]は王様になりました。
こうして三人の兄弟は一人のこらず王様になりました。
九
三人の兄弟はこうして、それぞれ王様になって国を治めました。
長男の兵隊のシモンは大へんゆたかになりました。
シモンは藁の兵隊でほんとの兵隊を集めました。
かれは国中にふれを出して、家十軒ごとに兵隊一人ずつ出させました。
ところがその兵隊はみんな背が高くて、かおかたちの立派なものでなくてはならないのでした。
シモンはそんな兵隊をたくさん集めて、うまくならしておきました。
そしてもし自分にさからう者があると、すぐさまこの兵隊をさし向けて、思い通りにしまつをしたので、誰もがシモンを恐がり出すようになりました。
がしかし、シモンの暮しは大へんゆかいなものでした。
眼について欲しいなと思ったものは何でもシモンの所有(もの)でした。シモンが兵隊をさし向けると、兵隊はシモンの欲しいものを立ちどころに持って来ました。
肥満(ふとっちょ)のタラスもまたゆかいに暮していました。
タラスはイワンから貰った金を少しもむだに使いませんでした。使わないばかりか、ますますそれを殖やしました。タラスは自分の国中におきてやさだめを作りました。
金はみんな金庫へしまい、人民には税金をかけました。
人頭税や、人や馬車には通行税、靴、靴下税、衣しょう税などをかけました。
それからなお、自分で欲しいと思ったものは、何でも手に入れました。金のためには人民は何でも持って来るし、またどんな働きでもしました。――と言うのは、人民たち誰もかれもが金が要ったからでした。
イワンの馬鹿もやはり悪い暮しはしませんでした。
亡くなった王様のおとむらいをすますとすぐ、王様の服をぬいで妃に箪笥(たんす)へしまわせました。
そしてまた元の粗末な麻のシャツや股引(ももひき)、百姓靴をつけて、百姓仕事にかえりました。
「あれじゃとてもやりきれない。退屈で、おまけにからだがぶくぶくに肥(ふと)って来るし、食物(たべもの)はまずく、寝りゃからだがいたい。」とイワンは言いました。
そして両親や唖の妹をつれて来て元のように働きはじめました。
「あなたは王様でいらせられます。」と人民の者が言いました。
「そりゃそれにちがいない。だが王様だって食わなけりゃならん。」とイワンは言いました。
そこへ大臣の一人がやって来て言いました。
「金がないので役人たちに払うことが出来ません。」
「いいとも、いいとも。なけりゃ払わんでいい。」とイワンは言いました。
「でも払わないと、役についてくれません。」
「いいとも、いいとも。役につかないがいい。そうすりゃ、働く時間がたくさんになる。役人たちに肥料(こやし)を運ばせるがいい。それに埃(ごみ)はたくさんたまっている。」
そこへ人民たちが、裁判してもらいにやって来ました。
そして中の一人が、言いました。
「こいつが私の金を盗みました。」
するとイワンは言いました。
「いいとも、いいとも。そりゃこの男に金が要ったからじゃ。」
そこで人民たちはイワンが馬鹿だと言うことに気がつきました。
そこで妃はイワンにこう言いました。
「人民どもはみなあなたのことを馬鹿だと申しております。」
するとイワンは言いました。
「いいとも、いいとも。」
妃はそれでいろいろ考えてみました。
しかし妃もやはり馬鹿でした。
「夫にさからってはいいものかしら、針の行くところへは糸も従って行くんだもの。」と思いました。
そこで妃は着ていた妃の服をぬいで箪笥にしまい、唖娘のところへ行って百姓仕事を教わりました。
そしてぼつぼつ仕事をおぼえると、夫の手だすけをしはじめました。
そこで賢い人はみんなイワンの国から出て行き、馬鹿ばかり残りました。
誰も金を持っていませんでした。みんなたっしゃで働きました。
お互いに働いて食べ、また他の人をも養いました。
一〇
年よった悪魔は、三人の兄弟を取っちめたと言うたよりが来るか来るかと待っていました。
が待っても待っても来ませんでした。
そこで自分で出かけて行って、調べはじめました。
かれはさんざんさがしまわりました。
ところが三人の小悪魔にはあえないで、三つの小さな穴を見つけただけでした。
「てっきりやりしくじったにちがいない。そうとすりゃおれがやりゃよかった。」
そこで三人の兄弟をさがしに出かけましたが、かれらは元のところには住んでいないで、めいめいちがった国にいるのがわかりました。
三人が三人とも、いい身分になって、立派に国を治めていました。
それが、年よった悪魔をひどく困らせました。
「ようし。じゃおれの腕でやらなくちゃなるまい。」と年よった悪魔は言いました。
年よった悪魔は、まず一番にシモン王のところへ、出かけました。
しかし自分のほんとの姿ではなく、将軍の姿にばけて、シモンの御殿へのり込みました。
「シモン王様。」と年寄りの悪魔は言いました。
「かねてお勇ましい御名前はよくうけたまわっております。つきまして、私(わたくし)も兵のことについてはいろいろと心得ております。ぜひあなたに御奉公申し上げたいと存じます。」と言いました。
シモン王は、いろいろたずねてみました。
そして、かれが役にたつことがわかったので、そば近く置いて使うことにしました。
この新しい司令官は、シモン王に強い軍隊の作りかたを教えはじめました。
「まず第一にもっと兵隊を集めましょう。国にはまだうんと遊んでいるものがおります。若い者は一人残らず兵隊にしなくちゃいけません。すると今の五倍だけの兵隊を得ることになります。次には新しい銃と大砲を手に入れなくちゃなりません。私(わたくし)は一時に五百発の弾丸(たま)を打ち出す銃をお目にかけることにいたしましょう。それは弾丸(たま)が豆のように飛び出します。さてそれから大砲も備えましょう。この大砲はあたれば人でも馬でも城でも焼いてしまいます。何でもみんな燃えてしまう大砲です。」
シモン王はこの新しい司令官の言うことに耳をかたむけて、国中の若者残らずを兵隊にしてしまい、また新式の銃や大砲をつくるために、新しくたくさんの工場をたてて、それらのものをこさえさせました。
やがて、シモン王は、隣りの国の王に戦をしかけました。
そして敵の軍隊に出あうやいなや、シモン王は兵隊たちに命令して新しい銃や大砲を雨霰(あめあられ)のように打ちかけて、またたく間に敵の軍隊の半分を打ち倒してしまいました。
そこで隣の国の王はふるえ上って降参し、その領地のすべてを引きわたしました。
シモン王は大喜びでした。
「今度は印度王をうち平げてやろう。」とシモン王は言いました。
ところが印度王はシモン王のことを聞いて、すっかりその考えをまねてしまいました。
そしてそればかりでなく、自分の方でいろいろと工夫しました。印度王の兵隊は、若い者ばかりでなく、よめ入前の娘まで加えて、シモン王の兵隊よりもずっとたくさんの兵隊を集めました。
その上シモン王の銃や大砲とそっくり、同じものを作り、なお空を飛んで爆弾を投げ下す方法まで考えつきました。
シモン王は、隣の国の王を打ち負かしたと同じように印度王を負かしてやろうと考えて、いよいよ戦をはじめました。
けれども、そんなに切れ味のよかった鎌も、今ではすっかり刃がかけてしまっていました。
印度王はシモンの兵隊が弾丸(たま)のあたる場所まで行かないうちに、娘たちを空へ出して爆弾を投げ下させました。
娘たちは、まるで油虫(あぶらむし)に砂でもまくように、シモンの兵隊の上に、爆弾を投げ下しました。
そこで、シモン王の兵隊は逃げ出し、シモン王一人だけ、とり残されてしまいました。印度王はシモンの領地を取り上げてしまい、兵隊のシモンは命からがら逃げ出しました。
さて、年よった悪魔はこちらを片づけたので今度はタラス王の方へ向いました。
かれは商人に化けてタラスの国に足をとめ、店を出して、金を使いはじめました。
かれは何を買っても大へん高くお金を払うので、誰もかもお金欲しさに、どしどしこの新しい商人のところへ集まって来ました。
そこで大したお金が人々のふところに入って、人民たちはとどこおりなく税金を払うことが出来ました。
タラス王はほくほくもので喜びました。
「今度来たあの商人は気に入った。これでおれはよりたくさんの金を残すことが出来た。したがっておれの暮しはますますゆかいになるというものだ。」とタラス王は思いました。
そこでタラス王は、新しい御殿をたてることにしました。
かれは掲示を出して、材木や石材などを買入れることから、人夫を使うことをふれさせ、何によらず高い価(ね)を払うことにしました。
タラス王はこうしておけば、今までのように人民たちが先を争って来るだろう、と考えていました。
ところが、驚いたことには、材木も石材も人夫もすっかりれいの商人のところへ取られてしまいました。
タラス王は価(ね)を引き上げました。
すると商人は、それよりもずっと上につけました。
タラス王はたくさんの金がありましたが、れいの商人はもっとたくさん持っています。
で、商人は何から何までタラス王の上に出ました。
タラス王の御殿はそのままで、普請(ふしん)はちっともはかどりませんでした。
タラス王は庭をこさえようと考えました。秋になったので、その庭へ木を植えさせるつもりで、人民たちを呼びましたが、誰一人やって来ませんでした。
みんな、れいの商人の家(うち)の池を掘りに行っていました。
冬が来て、タラス王は、新しい外套につける黒貂(くろてん)の皮が欲しくなったので、使(つかい)の者に買わせにやりました。
すると使のものは帰って来て、言いました。
「黒貂の皮は一枚もございません。あの商人がすっかり高価(たかね)で買いしめてしまって、敷物をこさえてしまいました。」
タラス王は今度は馬を買おうと思って、使をやりました。すると使の者が帰って来て言いました。
「あの商人が、残らず買ってしまいました。池に満たす水を運ばすためでございます。」
タラス王のすることは、何もかも、すっかり止まってしまいました。
人民たちは誰一人タラス王の仕事をしようとはしませんでした。毎日せっせと働いて、例の商人から貰った金を、王のところへ持って来て納めるだけでした。
こうして、タラス王はしまい切れないほどの金を集めることは出来ましたが、その暮しといったら、それはみじめになりました。
王はもういろんなくわだてをやめて、ただ生きて行けるだけでがまんするようになりましたが、やがてそれも出来なくなりました。
すべてに不自由しました。
料理人も、馭者(ぎょしゃ)も、召使も、家来も、一人々々王を置き去りにして、れいの商人のところへ行ってしまいました。
まもなく食物(たべもの)にもさしつかえるようになりました。市場へ人をやってみると、何も買うものがありませんでした。――つまり例の商人が何もかも買い占めてしまって、人民たちはただ税金だけ王のところへ納めに来るだけでした。
タラス王は大へん腹を立てて、例の商人を国より外へ追い出してしまいました。
ところが商人は、国ざかいのすぐ近くへ住まって、やはり前と同じようにやっています。
人民たちは金欲しさに王をのけ者にしてしまって、何でもすべて商人のところへ持って行ってしまいました。
タラスはいよいよ困ってしまいました。何日もの間、食べるものがありませんでした。
そしてうわさに聞くと、例の商人は今度はタラス王を買うと言って、いばっていると言うことでした。
タラス王はすっかり胆をつぶして、どうしていいかわからなくなってしまいました。
ちょうどこの時兵隊のシモンがやって来て、
「助けてくれ、印度王にすっかりやられてしまった。」と言いました。
しかし、タラス王自身も動きのとれないくらい苦しい立場になっていましたので、
「おれももう二日間というもの何一つ食べるものがないのだ。」と言いました。
一一
二人の兄たちを取っちめてしまった年よった悪魔は、今度はイワンの方に向いました。
かれは将軍の姿に化けて、イワンのところへ行って、軍隊をこさえなければいけないとすすめました。
「軍隊がなくては王様らしくありません。一つ私に命令して下されば私は人民たちから兵隊を集めて、こさえて御覧に入れます。」と言いました。
イワンはかれのいうことをじっと聞いていましたが、
「いいとも、いいとも。じゃ一つ軍隊をこさえて唄を上手に歌えるようにしこんでくれ。私は兵隊が歌うのを聞くのは好きだ。」と言いました。
そこで年よった悪魔は、イワンの国中を廻(めぐ)って兵隊を集めにかかりました。
かれは人々に、軍隊に入れば酒は飲めるし、赤いきれいな帽子を一つ貰える、と話しました。
人々は笑って「酒はおれたちで造るんでどっさりある。
それに帽子はすじの入った総(ふさ)つきのでも女たちがこさえてくれる。」と言いました。
そして誰一人兵隊になるものがありませんでした。
年よった悪魔はイワンのところへ帰って来て、言いました。
「どうも馬鹿共は、自分で進んでやろうとはしません。あれじゃいやでも入らせなくちゃなりませんでしょう。」
「いいとも、いいとも。やってみるがいい。」とイワンは言いました。
そこで年よった悪魔は、人民たちはすべて兵隊に入らなくてはならない。
これを拒むものはイワン王が死刑にしてしまわれるだろう、というおふれを出しました。
人民たちは将軍のところへやって来て、言いました。
「兵隊にならなければイワン王が死刑にしてしまうと言っているが、兵隊になったらどんなことをするのかまだ話を聞かせてもらわない。兵隊は殺されると聞いているがほんとかい。」
「うん、そりゃ時には殺される。」
これを聞いて人民たちはどうしてもきかなくなりました。
「じゃ、兵隊に行かないことにしよう。それよっか家(うち)で死んだ方がましだ。どうせ人間は死ぬもんだからな。」と人民たちは言いました。
「馬鹿!お前たちはまったく馬鹿だ!兵隊に行きゃ必ず殺されるときまってやしない。だが行かなきゃイワン王に殺されてしまうんだぞ。」
人民たちはまったく途方にくれてしまいました。
そしてイワンの馬鹿のところへ相談に行きました。
「将軍さまが、わしらに兵隊になれとおっしゃる。兵隊になりゃ殺されることがある。しかしならなきゃ、イワン王がわしらをみんな殺される、と言う話ですがほんとですか。」
イワンは大笑いして言いました。
「さあ、わしにもわからん。わし一人でお前さん方をみんな殺すことは出来ないしな。わしが馬鹿でなかったら、そのわけを話すことも出来るが、馬鹿なんでさっぱりわからんのじゃ。」
「それじゃわしらは兵隊にゃなりません。」と人民たちはいいました。
「いいとも、いいとも。ならんでいい。」とイワンは答えました。
そこで人民たちは、将軍のところへ行って、兵隊になることをことわりました。
年よった悪魔はこの企ての駄目なことを見て取りました。
そこでイワンの国を出て、タラカン王のところへ行って言いました。
「イワン王と戦をしてあの国を取ってしまってはいかがでしょう。あの国には金はちっともありませんが、穀物でも牛馬(うしうま)でも、その他何でもどっさりあります。」
そこでタラカン王は戦のしたくに取りかかり、大へんな軍隊を集めて、銃や大砲をよういすると、イワンの国へおしよせました。
人民たちは、イワンのところへかけつけてこう言いました。
「タラカン王が大軍をつれて攻めよせて来ました。」
「あ、いいとも、いいとも。来さしてやれ。」とイワンは言いました。
タラカン王は、国ざかいを越えると、すぐ斥候を出して、イワンの軍隊のようすをさぐらせました。
ところが、驚いたことにさぐってもさぐっても軍隊の影さえも見えません。
今にどこからか現われて来るだろうと、待ちに待っていましたが、やはり軍隊らしいものは出て来ません。
また、だれ一人タラカン王の軍隊を相手にして戦するものもありませんでした。
そこでタラカン王は、村々を占領するために兵隊をつかわしました。兵隊たちが村に入ると、村の者たちは男も女も、びっくりして家(うち)を飛び出し、ものめずらしそうに見ています。兵隊たちが穀物や牛馬などを取りにかかると、要るだけ取らせて、ちっとも抵抗(てむかい)しませんでした。
次の村へ行くと、やはり同じことが起りました。
そうして兵隊たちは一日二日と進みましたが、どの村へ行っても同じ有様でした。
人民たちは何でもかでも兵隊たちの欲しいものはみんな持たせてやって、ちっとも抵抗(てむかい)しないばかりか、攻めに来た兵隊たちを引きとめて、一しょに暮そうとするのでした。
「かわいそうな人たちだな。お前さんたちの国で暮しが出来なけりゃ、どうしておれたちの国へ来なさらないんだ。」と村の者たちは言うのでした。
兵隊たちはどんどん進みました。
けれどもどこまで行っても軍隊にはあいませんでした。
ただ働いて食べ、また人をも食べさせてやって、面白く暮していて、抵抗(てむかい)どころか、かえって兵隊たちにこの村に来て一しょに暮せという者ばかりでした。
兵隊たちはがっかりしてしまいました。
そして、タラカン王のところへ行って言いました。
「この国では戦が出来ません。どこか他の国へつれて行って下さい。戦はしますがこりゃ一たい何ごとです。まるで豆のスープを切るようなものです。私たちはもうこの国で戦をするのはまっぴらです。」
タラカン王は、かんかんに怒りました。
そして兵隊たちに、国中を荒しまわって、村をこわし、穀物や家を焼き、牛馬をみんな殺してしまえと命令しました。
そして、
「もしもこの命令に従わない者は残らず死刑にしてしまうぞ。」と言いました。
兵隊たちはふるえ上って、王の命令通りにしはじめました。
かれらは、家や穀物などを焼き、牛馬などを殺しはじめました。
しかし、それでも馬鹿たちは抵抗(てむか)わないで、ただ泣くだけでした。
おじいさんが泣き、おばあさんが泣き、若い者たちも泣くのでした。
「何だってお前さん方あ、わしらを痛めなさるだあ、何だって役に立つものを駄目にしなさるだあ。欲しけりゃなぜそれを持って行きなさらねえ。」と人民たちは言うのでした。
兵隊たちはとうとうがまんが出来なくなりました。
この上進むことが出来なくなりました。
それで、もういうことをきかず、思い思いに逃げ出して行ってしまいました。
一二
年よった悪魔はこの手段を止(よ)す外(ほか)ありませんでした。
兵隊を使ったんじゃ、とてもイワンを取っちめることは出来ませんでした。
そこで今度は姿をかえて、立派な紳士に化けて、イワンの国に住みこみました。
かれは肥満(ふとっちょ)のタラスをやっつけたように、金の力でイワンをやっつけてやろうと考えたのです。
「一つ私はあなた様にいいことをしたいと思います。よい智慧をおかししたいと存じます。で、まずお国に家を一軒たてて、商売をはじめましょう。」と年よった悪魔は言いました。
「いいとも、いいとも。気に入ったらこの国へ来て暮してくれ。」とイワンは言いました。
翌くる朝この立派な紳士は、金貨の入った大きな袋と一枚の紙片(かみきれ)を持って広小路へ出て、こう演説しました。
「お前たちはまるで豚のような生活をしている。私はお前たちにもっといい暮し方を教えてやる。お前たちはこの図面を見て一つ家をこさえてくれ。お前たちはただ働けばよろしい。そのやり方は私が教え、おれいは金貨で払ってやる。」
そう言ってかれは金貨をみんなに見せました。
馬鹿な人民たちはびっくりしました。
かれらの間には、これまで金と言うものがありませんでした。
かれらは品物と品物を取かえ合ったり、仕事は仕事でかんじょうし合っていたのでした。
そこでみんなは、金貨を見て驚きました。
「まあ、何て重宝なもんだろう。」と言いました。
それで、かれらは品物をやったり仕事をしたりして、紳士の金貨と取っかえはじめました。
年よった悪魔は、タラスの国でやったと同じように、金貨をどしどし使い、人民たちは何でもかでも、またどんな仕事でも金貨と取っかえるためにやってのけました。
年よった悪魔はほくほくもので喜びました。
そして、
「今度はなかなか運びがいい。これじゃあの馬鹿もそのうちにタラス同様、身体(からだ)から霊(たましい)までおれのものにしてしまえるぞ。」とひとりで考えました。
しかし馬鹿どもは、金貨を手に入れるとすぐ、それを女たちにやって首飾にしてしまいました。娘たちはそれをおさげの中につけて飾りました。
そして後には子供たちが、往来のまん中で、玩具(おもちゃ)にして遊びはじめました。
誰もかも金貨をたくさん貰って持っていました。そこでもう貰おうとするものはなくなりました。
けれども立派な紳士の家は、半分も出来てはいないし、その年入用(いりよう)の穀物や牛などの用意も出来ていませんでした。
そこで働きに来てもらいたいことだの、穀物や牛などを買いたいことだのを知らせて、もっとたくさんの金貨をやることにしました。
しかし、働く人も、品物を持って来る人もありませんでした。
時たま男の子や女の子たちが走って来て、卵と金貨を取っかえてもらうくらいでした。
他には誰も来なかったので、紳士は食物(たべもの)一つありませんでした。
そこでれいの紳士は、空腹(すきはら)を抱えて何か食べるものを買おうと村へ行って、ある家(うち)に入りました。
そして、鳥を一羽売ってもらおうと思って金貨を一枚出しましたが、そこのおかみさんは、どうしてもそれを受取りませんでした。
「私ゃたくさん持っています。」と言いました。
今度は鰊(にしん)を買おうと思って、寡婦(ごけ)さんのところへ行って金貨を出すと、
「もうたくさんです。」と言いました。
「私の家(うち)にゃそれを持って遊ぶような子供はいないし、それにいいもんだと思ってもう三枚もしまってありますからな。」と言ってことわりました。
かれは今度は百姓家へ行って、パンと取っかえようとしました。
けれどもやはり受取ろうとはしません。
「そりゃいらない。だが、お前さんが『キリスト様の御名によって』とおっしゃるなら、ちょっと待ちなされ、家内に話して一片(ひときれ)貰って上げましょうから。」と言いました。
(『キリスト様の御名によって』という言葉は露西亜(ろしや)の乞食や巡礼たちが、物を下さいと言う前に必ず言う言葉で、「御生ですから」とか、「どうかお願いですから」といった意味の言葉です。)
それを聞くと悪魔は唾を吐いて逃げ出しました。
キリストの名を唱えたり聞いたりすることは、小刀(ナイフ)で突き倒されるよりも痛くこたえるからでした。
こうしてとうとうパンも手に入れることが出来ませんでした。
誰もかも金貨を持っていたので、年よった悪魔はどこへ行っても、金で何一つ買うことは出来ませんでした。
みんなたれもが、
「何か他の品物を持って来るか、でなけりゃここへ来て働くか、またはキリスト様の御名によっているものを貰うがいい。」と言います。
しかし、年よった悪魔は、金より他には何一つ持っていませんでした。
働くことはかれ大へんきらいなことだし、「キリスト様の御名によって」物を貰うことなどかれにはどうしたって出来ないことでした。
年よった悪魔はひどく腹をたててしまいました。
「おれが金をやると言うのに、それより他の何が欲しいと言うんだ。金さえありゃ何だって買えるし、どんな人夫だって雇えるんだ。」と悪魔は言いました。
しかし、馬鹿たちはそれに耳をかそうとはしませんでした。
「いいや、わしらには金は要らない。わしらにゃ別に払いがあるわけじゃなし、税金も要らないから、貰ったところで使い道がないからな。」と言うのでした。
年よった悪魔はひもじい腹を抱えて、ゴロリと横になりました。
すると、このことが、イワンの耳に入りました。
人民たちは、イワンのところへ来て、こうたずねました。
「どうしたもんでしょう、立派な紳士が倒れています。あの人は、食い飲みもするし着飾ることもすきだが、働くことがきらいで、『キリスト様の御名によって』物を貰うことをしません。ただ誰にでも金貨をくれます。世間じゃはじめのうちはあの人の欲しがるものをくれてやったが、金貨がたくさんになったので、今じゃ誰もあの人にくれてやるものがありません。どうしたもんでしょう、あのままじゃ餓(う)え死んでしまいます。」
イワンはじっと聞いていました。
そして、
「いいとも、いいとも。そりゃ、みんなで養ってやるがいい。牧羊者(ひつじかい)のように一軒一軒かわり番こに養ってやるがいい。」
これより外(ほか)に仕方がありませんでした。
年よった悪魔は、かわり番こに家々を廻って食事をさせてもらうようになりました。
そのうちに番が来て、イワンの家(うち)へ行くことになったので年よった悪魔は御馳走になりにやって来ました。
すると、れいの唖の娘が食事の仕度をしているところでした。
唖娘は今までに、たびたびなまけ者にだまされていました。
そんな者に限って、ろくすっぽ受持の仕事はしないで、誰よりも食事に早くやって来て、おまけに人の分まで平げてしまうのでした。
そこで娘は手を見て、なまけ者を見分けることにしました。
ごつごつした硬い手の人はすぐテイブルにつかせましたが、そうでない人は、食べ残しのものしかくれてやりませんでした。
年よった悪魔はテイブルにつきました。
すると唖娘は、早速その手を捉えて、調べにかかりました。
ところが手にはちっとも硬いところがありません。
すべすべしていて、爪が長く延びていました。
唖娘は唸りながら、悪魔をテイブルから引きはなしました。
するとイワンのおよめさんが言いました。
「悪く思わないで下さい。あれはごつごつした手を持った人でないと、テイブルにはつかせないんです。でもちょっとお待ちなさい。みんなが食べてしまったら、後でその残りをあげますから。」
年よった悪魔はひどく気を悪くしてしまいました。
王様の家(うち)で自分を豚同様に扱っているのです。
かれはイワンに言いました。
「誰もかも手を使って働かなきゃならないなんて、お前の国でももっとも馬鹿気(ばかげ)た律法(おきて)だ。こんなことを考えるのも言わばお前が馬鹿だからだ。賢い人は何で働くか知っているか?」
するとイワンは言いました。
「わしらのような馬鹿にどうしてそんなことがわかるもんか。わしらは大抵の仕事は手や背中を使ってやるんだ。」
「だから馬鹿と言うんだ。ところがおれは頭で働く方法を一つ教えてやろう。そうすりゃ手で働くより頭を使った方がどんなに得だかわかるだろう。」
イワンはびっくりしました。
そして、「そうだとすりゃ、なるほど私らを馬鹿だと言うのももっともだ。」と言いました。
そこで年よった悪魔は言葉をつづけて、
「しかしただ頭で働くのはよういじゃない。おれの手に硬いところがないと言ってお前たちはおれに食物(たべもの)をあてがわないが、頭で働くことはそれよりも百倍もむずかしいと言うことをちっとも知らない。時としちゃ、全く頭がさけてしまうこともある。」
イワンは深く考え込みまし[#「し」は底本では「じ」]た。
「ほう? じゃ、お前さん、お前さん自分自身でどうしてそんなに自分を苦めているんだね。頭が悪い時ゃ、気持はよくないだろうしね。それよりゃ手や背中を使ってもっと楽な仕事したらよさそうなもんだがね。」
しかし悪魔は言いました。
「おれがそんなことをするのも、みんなお前たち馬鹿どもがかわいそうだからだ。もしおれがそうしないと、お前たちゃいつまでたっても馬鹿だ。だが、おれは頭で仕事をしたおかげで、お前たちにそれを教えてやることが出来るんだ。」
イワンはびっくりしました。
「じゃ、わしらを教えてくれ。わしらの手が萎えしびれた時に、そのかわりに頭で仕事をするようにね。」とイワンは言いました。
悪魔は人民たちに教えることを約束しました。
そこでイワンは、あらゆる人たちに頭で働くことを教えることの出来る立派な先生が来たこと、その先生は手よりも頭でやる方がずっと仕事が出来ること、人民たちは残らずこの立派な先生に教わりに来てよく習わなければならないことだのを、ふれさせました。
イワンの国には一つの高い塔がありました。
その塔には、てっぺんにまで登ることの出来る階段がついていました。
イワンはすべての人民たちが顔をよく見ることが出来るように、その立派な紳士を塔の上へつれて行きました。
そこで、れいの紳士は、塔のてっペンに立って演説をしはじめ、人民たちはかれを見ようとして集まりました。
人民たちはこの紳士が手を使わないで頭で働く方法を見せてくれるものと思っていました。
しかし、かれはどうしたら働かないで生活(くらし)を立てて行けるかということを、くりかえしくりかえし話しただけでした。
人民たちは何が何だか、ちっともわかりませんでした。
人民たちは紳士を見、考え、また見ましたが、とうとうおしまいにはめいめいの仕事をするために立ち去りました。
年よった悪魔は塔のてっペンに一日中立っていました。
それから二日目もやはりたてつづけにしゃべりました。
しかしあまり長くそこに立っていたためにすっかりお腹を空(すか)してしまいました。
しかし、たれもが塔の上へ食物(たべもの)を持って行くことなど考えもしませんでした。
手で働くよりももっとよく頭で働くことが出来るとしたらパンのよういくらいはもちろんのことだと思ったからでした。
その次の日も、年よった悪魔は塔のてっペンに立ってしゃべりました。
人民たちは集まって来て、ちょっとの間立って見ていましたが、すぐ去って行きました。
イワンは人民たちに聞きました。
「どうだな。少しゃ頭で仕事をしはじめたかな。」
すると人民たちは言いました。
「いいや、まだはじめません。先生あいかわらずしゃべりつづけています。」
年よった悪魔はまた次の日も一日塔の上に立っていましたが、そろそろ弱って来て、前へつんのめったかと思うと、あかり取りの窓の側(そば)の、一本の柱へ頭を打っつけました。
それを人民の一人が見つけて、イワンのおよめさんに知らせました。
するとイワンのおよめさんは、野良に出ているイワンのところへ、かけつけました。
「来てごらんなさい。あの紳士が頭で仕事をやりはじめたそうですから。」
とイワンのおよめさんは言いました。
「ほう? そりゃほんとかな。」とイワンは言って、馬を向け直して、塔へ行きました。
ところがイワンが塔へ行きつくまでに、年よった悪魔はお腹が空いたのですっかり元気はなくなり、ひょろひょろしながら、頭を柱に打ちつけていました。
そしてイワンが塔へちょうどついた時、年よった悪魔はつまずいてころぶと、ごろごろと階段をころんで、その一つ一つに頭をゴツンゴツンと打ちつけながら、地べたへ落ちて来ました。
「ほう? やっぱりほんとだったな、人間の頭がさけると言ったのは。でも、こりゃ水腫(みずぶくれ)どころじゃない。こんな仕事じゃ、頭はコブだらけになってしまうだろう。」とイワンは言いました。
年よった悪魔は階段の一ばん下のところで一つとんぼがえりをして、そのまま地べたへ頭を突っ込みました。
イワンはかれがどのくらい仕事をしたか見に行こうとしました。――その時急に地面がぱっとわれて紳士は中へ落っこっちてしまいました。そしてそのあとにはただ一つの穴が残りました。
イワンは頭をかきました。
「まあ何ていやな奴だろう。また悪魔だ。大きなことばかり言ってやがって、きっとあいつらの親爺に違いない。」とイワンは言いました。
イワンは今でもまだ生きています。人々はその国へたくさん集まって来ます。
かれの二人の兄たちも養ってもらうつもりで、かれのところへやって来ました。
イワンはそれらのものを養ってやりました。
「どうか食物(たべもの)を下さい。」と言って来る人には、誰にでもイワンは、「いいとも、いいとも。一しょに暮すがいい。わしらにゃ何でもどっさりある。」と言いました。
ただイワンの国には一つ特別なならわしがありました。それはどんな人でも手のゴツゴツした人は食事のテイブルへつけるが、そうでない人はどんな人でも他の人の食べ残りを食べなければならないことです。
☆☆☆
読むのに10分ぐらいかかってしまったでしょうか?
お疲れ様でした。
頭脳労働を否定していると受け取られる方もいるかもしれませんが、私は必ずしもそうではないと思います。
頭脳労働でも頭に汗をかくものもあれば、頭に汗をかかないものもあります。
村上ファンドなんかは後者のような気がします。
小説家や弁護士は前者かな。
誘拐事件でニュースになったセレブ整形外科医(本来的な意味ではセレブではありませんが。)はどちらに入るでしょうか?
一応前者に含まれるでしょうが、年収12億とか聞くとなんか後者のようにも感じられます。
人は汗の量に見合った金額をもらうべきではないでしょうか?
トルストイもそういうことが言いたかったんだと思います。