酔っ払いの戯言。
何度か取り上げてきたテーマではありますが(1、2、3)、今一度取り上げてみたい。
まずは記事から。
☆☆☆
秋田県藤里町の小学1年、米山豪憲(ごうけん)君(7)殺害事件で、殺人容疑で再逮捕された無職、畠山鈴香容疑者(33)が能代署捜査本部の調べに対し、事件の1カ月前に水死した長女、彩香ちゃん=当時(9)=について「一緒に川を見に行った際に、誤って橋から足を滑らせて落ちた」「気が動転して助けは求めなかった」などと供述していることが分かった。
畠山容疑者はこれまで豪憲君殺害の方法や殺害場所などについての供述内容がたびたび変わり、動機を彩香ちゃんの水死に関連づけるような供述をしていた。捜査本部では今回の供述についても慎重に裏付けを進めるとともに、転落したとされる状況について畠山容疑者を追及する。
(産経新聞)
☆☆☆
これまで3回にあたって取り上げましたが、やはり彩香ちゃん殺害の犯人は鈴香の可能性が高い。
今回の記事を見る限り、彼女はまだ全てを話してはいない。
なかなか観念できないんでしょうね。
今の彼女は孤立無援。
自分が戦うしかないという思いにとらわれている。
何でか?
おそらく誰かがかばってくれるのを待っている。
そう思われる。
特に母親。
「これ以上嘘を重ねても状況は悪くなるばかり。罪を認めて一緒に償っていこう。」
というような言葉が母親から出てくれば彼女も救われる。
でも、そうはなりそうもない。
別に母親じゃなくてもいい。
でもやはり母親。
悲しいな…。
うまく回らないもんだ。
母親だって人間だ。 鈴香さんに愛情を持てないこともある。
それは仕方がない。
それでも、鈴香さんは母の愛情を求めていると思う。
ある意味で切なくなる。
鈴香さんにとっては、2人の子供を殺すことよりも母の愛情のほうが重大なわけです。
それほどまでに母の愛情は人の一生を左右する。
父は?
それは分からない。
父も重要な存在であるとは思う。
でも自分は父から産まれたわけではない。
父なんか気持ちよくなって種を母に植え付けただけ。
私が産まれるために何をしただろう?
何かしたかもしれないけど、しょせん間接的なもの。
私は女性の「責任」を問題にしている。
当たり前だ。
自分の存在の第一義的な原因は母親である。
母が私の存在を肯定してこそ「私」は生きることができる。
一生をかけ我が子を愛する覚悟のない者は、
子を産むべきではない。
それぐらいの責任がある。
責任は持てないのに、それでも妊娠してしまう場合がある。
そんなときは、
自分の気持ちに逆らってでも、死ぬ気で愛してほしい。
どうしてもどうしても愛せないのならば?
そのときは、
母性愛とかいうものを超えた、何か超越的な愛情でもってあなたの子を愛してほしい。
存在すること自体をいとおしんでほしい。
存在するものは、愛されるべきである。
すみません、酔っ払いの戯言(たわごと)でした。
まずは記事から。
☆☆☆
秋田県藤里町の小学1年、米山豪憲(ごうけん)君(7)殺害事件で、殺人容疑で再逮捕された無職、畠山鈴香容疑者(33)が能代署捜査本部の調べに対し、事件の1カ月前に水死した長女、彩香ちゃん=当時(9)=について「一緒に川を見に行った際に、誤って橋から足を滑らせて落ちた」「気が動転して助けは求めなかった」などと供述していることが分かった。
畠山容疑者はこれまで豪憲君殺害の方法や殺害場所などについての供述内容がたびたび変わり、動機を彩香ちゃんの水死に関連づけるような供述をしていた。捜査本部では今回の供述についても慎重に裏付けを進めるとともに、転落したとされる状況について畠山容疑者を追及する。
(産経新聞)
☆☆☆
これまで3回にあたって取り上げましたが、やはり彩香ちゃん殺害の犯人は鈴香の可能性が高い。
今回の記事を見る限り、彼女はまだ全てを話してはいない。
なかなか観念できないんでしょうね。
今の彼女は孤立無援。
自分が戦うしかないという思いにとらわれている。
何でか?
おそらく誰かがかばってくれるのを待っている。
そう思われる。
特に母親。
「これ以上嘘を重ねても状況は悪くなるばかり。罪を認めて一緒に償っていこう。」
というような言葉が母親から出てくれば彼女も救われる。
でも、そうはなりそうもない。
別に母親じゃなくてもいい。
でもやはり母親。
悲しいな…。
うまく回らないもんだ。
母親だって人間だ。 鈴香さんに愛情を持てないこともある。
それは仕方がない。
それでも、鈴香さんは母の愛情を求めていると思う。
ある意味で切なくなる。
鈴香さんにとっては、2人の子供を殺すことよりも母の愛情のほうが重大なわけです。
それほどまでに母の愛情は人の一生を左右する。
父は?
それは分からない。
父も重要な存在であるとは思う。
でも自分は父から産まれたわけではない。
父なんか気持ちよくなって種を母に植え付けただけ。
私が産まれるために何をしただろう?
何かしたかもしれないけど、しょせん間接的なもの。
私は女性の「責任」を問題にしている。
当たり前だ。
自分の存在の第一義的な原因は母親である。
母が私の存在を肯定してこそ「私」は生きることができる。
一生をかけ我が子を愛する覚悟のない者は、
子を産むべきではない。
それぐらいの責任がある。
責任は持てないのに、それでも妊娠してしまう場合がある。
そんなときは、
自分の気持ちに逆らってでも、死ぬ気で愛してほしい。
どうしてもどうしても愛せないのならば?
そのときは、
母性愛とかいうものを超えた、何か超越的な愛情でもってあなたの子を愛してほしい。
存在すること自体をいとおしんでほしい。
存在するものは、愛されるべきである。
すみません、酔っ払いの戯言(たわごと)でした。