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 「いのちの声」 掲載。中原中也が求めたものは?

「いのちの声」という詩がある。

「生」とはなんぞや? というという問いについて、中原中也自身が出した一応の答えなのかもしれない。

しかし、人生を前向きに肯定しようとして、なおもがいているようにも見える。


この「もがき」はなんであろうか?

なぜ人は「人生はよきものである」と思いたいのだろうか?


それは、母を「いい人である」とどこまでも信じたい子の気持ちと似ているのかもしれない。


存在する全てのものは、

自己が存在していることによき原因があり、よき意味があり、よき目的があると信じたいはずだ。

たとえ単なる石ころであっても。


ましてや人間ならなおさらそう思うはず。


そう思えなくなった時に人は「もがく」のかもしれない…。




以下、青空文庫から転載します。

「ゐる」⇒「いる」、「さへ」⇒「さえ」など、多少修正してあります。 たいして長くないので是非読んでみてください。


☆☆☆


「いのちの声」

 ― もろもろの業(わざ)、
   太陽のもとにては蒼(あお)ざめたるかな。―                                                    ソロモン


僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(うみは)てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾も性慾もあってなきが如くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著く一か八かの方途さえ、悉皆(すっかり)分かったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ。
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   II
否何(いづ)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値いするものと信ずる。
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望みえないもの!

併し幸福というものが、このように無私の境(さかい)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)というでもあろう底のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。

だが、それが此の世というものなんで、
其処(そこ)に我等は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよかろう。

   III
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   IIII
ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。


☆☆☆



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