天才について-カント、エジソン、etc. の名言
天才って何だろうと、ふと考える。
「天才」のイメージにぴったりくる人物って、正直言ってあまりいない。 とりあえずレオナルド・ダ・ヴィンチが頭に浮かぶ。
モナリザの微笑の作者である。他に何をした人かと言われても即答できないけれど、彼が残したノートに描かれたヘリコプターの原型のような図がまず思い起こされる。彼の残したノートには、工学、医学、天文学、流体力学、幾何学、音楽などについて様々なことが記されていたようであるが、天才だと思う理由はその先見性である。時代を超えていたという印象がある。
あとは、アインシュタイン?
彼は1905年に、光量子理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論の三つの理論を発表した。いずれもノーベル賞級のすぐれた理論であり、事実、アインシュタインは「光量子理論」について、1921年度のノーベル賞を受賞している。この1905年は「奇跡の年」などとも言われてる。
他に誰がいるだろう?
エジソン? ゲーテ? ゴッホ?
何かしっくりこない。
実はレオナルド・ダ・ヴィンチもアインシュタインもしっくりこない。
ここでいくつか「天才」についての名言を紹介したい。
☆☆☆
他の人々に困難なことを容易に行うのが能才である。能才に不可能なことを行うのが天才である。
アミエル
天才とは自ら法則を作るものである。
カント
天才とは本質を見抜く人である。
カーライル
☆☆☆
これはまさに、
「天才」を、凡人とは隔絶したものと捉えようとしている。
普通の人が「しないこと・できないこと」をするのが天才であると言っているように思える。
これに対し、次のような名言もある。
☆☆☆
天才は実用の才の絶頂だ。
コクトー
天才?そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです。
ロダン
天才とは1%の霊感と99%の発汗とである。
エジソン
☆☆☆
これはこれで、とても納得できる。
要するに、天才というのはそもそも努力の上に成り立つものだと言いたいのである。天才的な業績の影には、人の何倍もの努力が存在するというわけである。
これに近い名言として、トルストイの「天才とは異常なる忍耐者である。」や、ビュッフォン(18世紀のフランスの博物学者)の「天才とは忍耐に対する大きな資質以外の何物でもない。」
というのがある。
これらは「忍耐」を天才の要素としているが、要するに尋常でない努力をしたということである。
いろいろな捉え方がある。
しかし、私が一番ピンとくるのは、カーライルの「天才とは本質を見抜く人である。」という言葉である。
本質を見抜く人とは、同時に「今の時代にとって何が最も必要なことなのか」が分かる人でもあると思う。
当然、先見性がある。
当然、創造性がある。
そして、
当然、周囲には簡単に理解されず、場合によっては狂人扱いされる。
(この意味では、交流電流、ラジオ、蛍光灯などを発明したニコラ・テスラが思い起こされる。)
はて、これらの意味においては、現代において誰が天才であろう?
少しさかのぼれば、坂本竜馬は天才であったと思う。
その時代の日本の状況について、彼ほど正確に見抜いていた人は他にあっただろうか?
他にもいたかもしれないが、少なくとも坂本竜馬は見抜いていたように思う。
しかし、現代では誰がいるだろう?
ちょっと思い浮かばない。
ここで、
補足して言えば、
「時代を見抜く」ばかりでなく「物事、つまりこの世の事象の本質を見抜く」人は当然「天才」、いや、天才以上の人であろう。
キリストや仏陀などはもう別格である。
天から授かった知恵というよりは、「天」そのものと言っていい人である。
「天才」と呼ぶのは、なにか失礼にさえ思える。
だから「天才」からはとりあえず除外する。
戻りますが、現代では「天才」というのは、ちょっと思い浮かばない。
おそらく「天才」に相当する人はいないと思う。
天才…。
私は思う。
どんな人も「天才」になれる。
自分の置かれた境遇や自分の欲望を一旦、脇において、
落ち着いて、
周りを、近所を、世間を、日本を、そして世界を眺めるならば、
今、何が必要とされているのかが、
多少なりとも見えてくるはず。
ただ、みんな(私も含めて)あまりに忙しい。
あまりにも多くの考え事がある。
少し離れてみませんか。
何かが見えてくるはず。
先日、
とある本屋で立ち読みした便利屋起業についての本の中に興味深いことが書いてあった。
おじいちゃんやおばあちゃんから、
「一晩一緒に枕を並べて寝て欲しい」とか、
「一緒にお風呂に入って欲しい」とか、
依頼が来るそうである。
そして不思議なことに、その依頼を受けたあと一週間ぐらいして、そのおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなってしまうことが少なからずあったというのである。
話す相手もなく一人で生活してきた人が、死ぬ間際に最後に望むのは、「一晩誰かと一緒に枕を並べて寝る」とか、「誰かと一緒にお風呂に入る」とか、そういったことなのかな、としみじみ思ったものである。
あまりに忙しく行動したり、考えたりしていると、
こういった現実が分らなくなってくるように思う。
富豪と低所得層の二極分化の世の中になりつつある今の時代、
自分のことで結構いっぱいいっぱいになってしまいがちである。
そうなってしまうと時代の本質や物事の本質なんてなかなか見えてこない。
でも、でも、
やはり、本質を見抜いていかなければならない。
日本の未来のためにも。
子供たちの未来のためにも。
われわれ大人がしっかりと時代の本質、物事の本質を見抜いていかなければならない。
変な結論になってしまいそうですが、
あえて申し上げます。
私自身に対しても。
「みんなが天才にならなければならない。明るい日本を築くためには。」
「天才」のイメージにぴったりくる人物って、正直言ってあまりいない。 とりあえずレオナルド・ダ・ヴィンチが頭に浮かぶ。
モナリザの微笑の作者である。他に何をした人かと言われても即答できないけれど、彼が残したノートに描かれたヘリコプターの原型のような図がまず思い起こされる。彼の残したノートには、工学、医学、天文学、流体力学、幾何学、音楽などについて様々なことが記されていたようであるが、天才だと思う理由はその先見性である。時代を超えていたという印象がある。
あとは、アインシュタイン?
彼は1905年に、光量子理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論の三つの理論を発表した。いずれもノーベル賞級のすぐれた理論であり、事実、アインシュタインは「光量子理論」について、1921年度のノーベル賞を受賞している。この1905年は「奇跡の年」などとも言われてる。
他に誰がいるだろう?
エジソン? ゲーテ? ゴッホ?
何かしっくりこない。
実はレオナルド・ダ・ヴィンチもアインシュタインもしっくりこない。
ここでいくつか「天才」についての名言を紹介したい。
☆☆☆
他の人々に困難なことを容易に行うのが能才である。能才に不可能なことを行うのが天才である。
アミエル
天才とは自ら法則を作るものである。
カント
天才とは本質を見抜く人である。
カーライル
☆☆☆
これはまさに、
「天才」を、凡人とは隔絶したものと捉えようとしている。
普通の人が「しないこと・できないこと」をするのが天才であると言っているように思える。
これに対し、次のような名言もある。
☆☆☆
天才は実用の才の絶頂だ。
コクトー
天才?そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです。
ロダン
天才とは1%の霊感と99%の発汗とである。
エジソン
☆☆☆
これはこれで、とても納得できる。
要するに、天才というのはそもそも努力の上に成り立つものだと言いたいのである。天才的な業績の影には、人の何倍もの努力が存在するというわけである。
これに近い名言として、トルストイの「天才とは異常なる忍耐者である。」や、ビュッフォン(18世紀のフランスの博物学者)の「天才とは忍耐に対する大きな資質以外の何物でもない。」
というのがある。
これらは「忍耐」を天才の要素としているが、要するに尋常でない努力をしたということである。
いろいろな捉え方がある。
しかし、私が一番ピンとくるのは、カーライルの「天才とは本質を見抜く人である。」という言葉である。
本質を見抜く人とは、同時に「今の時代にとって何が最も必要なことなのか」が分かる人でもあると思う。
当然、先見性がある。
当然、創造性がある。
そして、
当然、周囲には簡単に理解されず、場合によっては狂人扱いされる。
(この意味では、交流電流、ラジオ、蛍光灯などを発明したニコラ・テスラが思い起こされる。)
はて、これらの意味においては、現代において誰が天才であろう?
少しさかのぼれば、坂本竜馬は天才であったと思う。
その時代の日本の状況について、彼ほど正確に見抜いていた人は他にあっただろうか?
他にもいたかもしれないが、少なくとも坂本竜馬は見抜いていたように思う。
しかし、現代では誰がいるだろう?
ちょっと思い浮かばない。
ここで、
補足して言えば、
「時代を見抜く」ばかりでなく「物事、つまりこの世の事象の本質を見抜く」人は当然「天才」、いや、天才以上の人であろう。
キリストや仏陀などはもう別格である。
天から授かった知恵というよりは、「天」そのものと言っていい人である。
「天才」と呼ぶのは、なにか失礼にさえ思える。
だから「天才」からはとりあえず除外する。
戻りますが、現代では「天才」というのは、ちょっと思い浮かばない。
おそらく「天才」に相当する人はいないと思う。
天才…。
私は思う。
どんな人も「天才」になれる。
自分の置かれた境遇や自分の欲望を一旦、脇において、
落ち着いて、
周りを、近所を、世間を、日本を、そして世界を眺めるならば、
今、何が必要とされているのかが、
多少なりとも見えてくるはず。
ただ、みんな(私も含めて)あまりに忙しい。
あまりにも多くの考え事がある。
少し離れてみませんか。
何かが見えてくるはず。
先日、
とある本屋で立ち読みした便利屋起業についての本の中に興味深いことが書いてあった。
おじいちゃんやおばあちゃんから、
「一晩一緒に枕を並べて寝て欲しい」とか、
「一緒にお風呂に入って欲しい」とか、
依頼が来るそうである。
そして不思議なことに、その依頼を受けたあと一週間ぐらいして、そのおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなってしまうことが少なからずあったというのである。
話す相手もなく一人で生活してきた人が、死ぬ間際に最後に望むのは、「一晩誰かと一緒に枕を並べて寝る」とか、「誰かと一緒にお風呂に入る」とか、そういったことなのかな、としみじみ思ったものである。
あまりに忙しく行動したり、考えたりしていると、
こういった現実が分らなくなってくるように思う。
富豪と低所得層の二極分化の世の中になりつつある今の時代、
自分のことで結構いっぱいいっぱいになってしまいがちである。
そうなってしまうと時代の本質や物事の本質なんてなかなか見えてこない。
でも、でも、
やはり、本質を見抜いていかなければならない。
日本の未来のためにも。
子供たちの未来のためにも。
われわれ大人がしっかりと時代の本質、物事の本質を見抜いていかなければならない。
変な結論になってしまいそうですが、
あえて申し上げます。
私自身に対しても。
「みんなが天才にならなければならない。明るい日本を築くためには。」