「一夕観」がやっと掲載!
北村透谷の「一夕観(いっせきかん)」が青空文庫にやっと掲載されました。
随分待ったものです。
昔、岩波文庫か何かで読んだ作品なんですが、青空文庫に掲載されたらこのブログで紹介しようとずっと思ってました。
青空文庫ってのは、著作権が消滅してる文学作品、たとえば夏目漱石の「坊っちゃん」とか紫式部の「源氏物語」とかを公開しているサイトで、どの作品も無償で読むことができます。外国の作品もありますが、まだまだ少ないですね。
で、この北村透谷、明治元年である1868年に出生し、1894年に享年27歳で自殺をしてしまったのですが、その理由ははっきりしていない。せっかく大好きだった石坂ミナと結婚できたのに、何故自ら死を…?
何はともあれ、北村透谷の「一夕観」を紹介しましょう。
☆☆☆
「一夕観」
北村透谷
其一
ある宵われ窓にあたりて横はる。ところは海の郷(さと)、秋高く天朗らかにして、よろづの象(かたち)、よろづの物、凛乎(りんこ)として我に迫る。恰(あたか)も我が真率ならざるを笑ふに似たり。恰も我が局促(きよくそく)たるを嘲るに似たり。恰も我が力なく能なく弁なく気なきを罵るに似たり。渠(かれ)は斯の如く我に徹透す、而して我は地上の一微物、渠に悟達することの甚(はな)はだ難きは如何ぞや。
月は晩(おそ)くして未だ上るに及ばず。仰いで蒼穹を観れば、無数の星宿紛糾して我が頭にあり。顧みて我が五尺を視、更に又内観して我が内なるものを察するに、彼と我との距離甚だ遠きに驚ろく。不死不朽、彼と与(とも)にあり、衰老病死、我と与にあり。鮮美透涼なる彼に対して、撓(たわ)み易く折れ易き我れ如何に赧然(たんぜん)たるべきぞ。爰(こゝ)に於て、我は一種の悲慨に撃たれたるが如き心地す。聖にして熱ある悲慨、我が心頭に入れり。罵者の声耳辺にあるが如し、我が為(な)すなきと、我が言ふなきと、我が行くなきとを責む。われ起つて茅舎(ばうしや)を出で、且つ仰ぎ且つ俯して罵者に答ふるところあらんと欲す。胸中の苦悶未だ全く解けず、行く行く秋草の深き所に到れば、忽(たちま)ち聴く虫声縷(る)の如く耳朶(じだ)を穿(うが)つを。之を聴いて我心は一転せり、再び之を聴いて悶心更に明かなり。曩(さき)に苦悶と思ひしは苦悶にあらざりけり。看よ、喞々(しよくしょく)として秋を悲しむが如きもの、彼に於て何の悲しみかあらむ。彼を悲しむと看取せんか、我も亦た悲しめるなり。彼を吟哦(ぎんが)すと思はんか、我も亦た吟哦してあるなり。心境一転すれば彼も無く、我も無し、焉(ばくえん)たる大空の百千の提燈を掲げ出せるあるのみ。
其二
われは歩して水際に下れり。浪白ろく万古の響を伝へ、水蒼々として永遠の色を宿せり。手を拱(こま)ねきて蒼穹を察すれば、我れ「我」を遺(わす)れて、飄然(へうぜん)として、襤褸(らんる)の如き「時」を脱するに似たり。
茫々乎たる空際は歴史の醇(じゆん)の醇なるもの、ホーマーありし時、プレトーありし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり。同じく彼を燭(て)らせり、同じく彼れを発(ひ)らけり。然り、人間の歴史は多くの夢想家を載せたりと雖(いへども)、天涯の歴史は太初より今日に至るまで、大なる現実として残れり。人間は之を幽奥(ミステリー)として畏(おそ)るゝと雖、大なる現実は始めより終りまで現実として残れり。人間は或は現実を唱へ、或は夢想を称(とな)へて、之を以て調和す可からざる原素の如く諍(あらそ)へる間に、天地の幽奥は依然として大なる現実として残れり。
其三
われは自(みづ)から問ひ、自から答へて安らかなる心を以て蓬窓(ほうさう)に反(かへ)れり。わが視(み)たる群星は未だ念頭を去らず、静かに燈を剪(き)つて書を読まんとするに、我が心はなほ彼にあり。我が読まんとする書は彼にあり。漠々たる大空は思想の広(ひ)ろき歴史の紙に似たり。彼処(かしこ)にホーマーあり、シヱークスピーアあり、彗星の天系を乱して行くはバイロン、ボルテーアの徒、流星の飛び且つ消ゆるは泛々(はんはん)たる文壇の小星、吁(あゝ)、悠々たる天地、限なく窮りなき天地、大なる歴史の一枚、是に対して暫らく茫然たり。
(明治二十六年十一月)
☆☆☆
冒頭の「ある宵われ窓にあたりて」の「まど」は、「鏓」という字の左側を「金」から「片」に代えた、ある難しい漢字なのですが、このブログでは表示ができませんでしたので、現在使われている「窓」という漢字に代えてあります。
他にも難しい言葉が多く使われていますが、無数の星々が輝く広大な天空を人類の歴史になぞらえているあたりの描写は圧巻ですな。
どれだけ本を読んだら、20代の若さでこんな文章が書けるようになるのだろうか。
では。
随分待ったものです。
昔、岩波文庫か何かで読んだ作品なんですが、青空文庫に掲載されたらこのブログで紹介しようとずっと思ってました。
青空文庫ってのは、著作権が消滅してる文学作品、たとえば夏目漱石の「坊っちゃん」とか紫式部の「源氏物語」とかを公開しているサイトで、どの作品も無償で読むことができます。外国の作品もありますが、まだまだ少ないですね。
で、この北村透谷、明治元年である1868年に出生し、1894年に享年27歳で自殺をしてしまったのですが、その理由ははっきりしていない。せっかく大好きだった石坂ミナと結婚できたのに、何故自ら死を…?
何はともあれ、北村透谷の「一夕観」を紹介しましょう。
☆☆☆
「一夕観」
北村透谷
其一
ある宵われ窓にあたりて横はる。ところは海の郷(さと)、秋高く天朗らかにして、よろづの象(かたち)、よろづの物、凛乎(りんこ)として我に迫る。恰(あたか)も我が真率ならざるを笑ふに似たり。恰も我が局促(きよくそく)たるを嘲るに似たり。恰も我が力なく能なく弁なく気なきを罵るに似たり。渠(かれ)は斯の如く我に徹透す、而して我は地上の一微物、渠に悟達することの甚(はな)はだ難きは如何ぞや。
月は晩(おそ)くして未だ上るに及ばず。仰いで蒼穹を観れば、無数の星宿紛糾して我が頭にあり。顧みて我が五尺を視、更に又内観して我が内なるものを察するに、彼と我との距離甚だ遠きに驚ろく。不死不朽、彼と与(とも)にあり、衰老病死、我と与にあり。鮮美透涼なる彼に対して、撓(たわ)み易く折れ易き我れ如何に赧然(たんぜん)たるべきぞ。爰(こゝ)に於て、我は一種の悲慨に撃たれたるが如き心地す。聖にして熱ある悲慨、我が心頭に入れり。罵者の声耳辺にあるが如し、我が為(な)すなきと、我が言ふなきと、我が行くなきとを責む。われ起つて茅舎(ばうしや)を出で、且つ仰ぎ且つ俯して罵者に答ふるところあらんと欲す。胸中の苦悶未だ全く解けず、行く行く秋草の深き所に到れば、忽(たちま)ち聴く虫声縷(る)の如く耳朶(じだ)を穿(うが)つを。之を聴いて我心は一転せり、再び之を聴いて悶心更に明かなり。曩(さき)に苦悶と思ひしは苦悶にあらざりけり。看よ、喞々(しよくしょく)として秋を悲しむが如きもの、彼に於て何の悲しみかあらむ。彼を悲しむと看取せんか、我も亦た悲しめるなり。彼を吟哦(ぎんが)すと思はんか、我も亦た吟哦してあるなり。心境一転すれば彼も無く、我も無し、焉(ばくえん)たる大空の百千の提燈を掲げ出せるあるのみ。
其二
われは歩して水際に下れり。浪白ろく万古の響を伝へ、水蒼々として永遠の色を宿せり。手を拱(こま)ねきて蒼穹を察すれば、我れ「我」を遺(わす)れて、飄然(へうぜん)として、襤褸(らんる)の如き「時」を脱するに似たり。
茫々乎たる空際は歴史の醇(じゆん)の醇なるもの、ホーマーありし時、プレトーありし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり。同じく彼を燭(て)らせり、同じく彼れを発(ひ)らけり。然り、人間の歴史は多くの夢想家を載せたりと雖(いへども)、天涯の歴史は太初より今日に至るまで、大なる現実として残れり。人間は之を幽奥(ミステリー)として畏(おそ)るゝと雖、大なる現実は始めより終りまで現実として残れり。人間は或は現実を唱へ、或は夢想を称(とな)へて、之を以て調和す可からざる原素の如く諍(あらそ)へる間に、天地の幽奥は依然として大なる現実として残れり。
其三
われは自(みづ)から問ひ、自から答へて安らかなる心を以て蓬窓(ほうさう)に反(かへ)れり。わが視(み)たる群星は未だ念頭を去らず、静かに燈を剪(き)つて書を読まんとするに、我が心はなほ彼にあり。我が読まんとする書は彼にあり。漠々たる大空は思想の広(ひ)ろき歴史の紙に似たり。彼処(かしこ)にホーマーあり、シヱークスピーアあり、彗星の天系を乱して行くはバイロン、ボルテーアの徒、流星の飛び且つ消ゆるは泛々(はんはん)たる文壇の小星、吁(あゝ)、悠々たる天地、限なく窮りなき天地、大なる歴史の一枚、是に対して暫らく茫然たり。
(明治二十六年十一月)
☆☆☆
冒頭の「ある宵われ窓にあたりて」の「まど」は、「鏓」という字の左側を「金」から「片」に代えた、ある難しい漢字なのですが、このブログでは表示ができませんでしたので、現在使われている「窓」という漢字に代えてあります。
他にも難しい言葉が多く使われていますが、無数の星々が輝く広大な天空を人類の歴史になぞらえているあたりの描写は圧巻ですな。
どれだけ本を読んだら、20代の若さでこんな文章が書けるようになるのだろうか。
では。