捨てるべきものを見極める。
今日は部屋の天袋の大整理を敢行した。
案の定、というか当然のごとく、アレルギー性鼻炎が発症。
マジ俺ってホコリに弱いな。
一生、ハウスダストにひれ伏して生きていかねばならんのか。
天袋の大半を占めていたのは、20年以上前に使っていた教科書や参考書。
そして、ノートやプリント類やテストの答案。
姉や弟のも結構あった。
とにかく、一切合切を紙袋に詰め込んだ。
ついでに、捨てることを躊躇していたキリスト教会関係の各種プリントも紙袋に詰め込んだ。
聖書の言葉が書かれたしおりなんかも、かまわず詰め込んだ。
キリストを冒涜することにはならないと今は確信できる。
そのプリントが神聖なのではないからだ。
神聖なのは、そのプリントによって伝えられたメッセージの中身。
今の俺なら、聖書を燃やすことも、さほど躊躇はしないだろう。
物としての聖書を神聖視しておきながら、イエス・キリストの言葉を神聖視しないよりは、
イエス・キリストの言葉を神聖視し、物としての聖書を無価値とみなす方がよっぽどましだ。
では、今日の日よ、さようなら。