重苦しい心境を詩にしてみました…。
闇ではない。真っ暗な何かではない。
だからといって灰色でもない。もちろん白でもない。
色さえ定まらないような時空で重苦しい空気をただただ感じている。
姿の見えない強固な輩が私をじわじわと追い詰める。
「現実」としばしば称されるものが相手と決め付けることはできない。
その「現実」には私が組み込まれているのだろうから。
社会とこの自分自身が渾然一体となった忌まわしい存在が私を押しつぶす。
その責任は紛れもなく私にあると、恐ろしく大きな声で宣言しながら。
自由であればあるほど責任が牙を剥く。
その牙の前に、夢や希望という美名は空しく消えゆく。
あれほど慕った仏陀の教説や基督の垂訓もあまりに遠くて耳に届かない。
眼前に迫る現実の厳しさに、己の怯惰のみが体を支配していく。
我の勇猛心は実体をなさずに意識の彼方へ隠れてしまった。
諸説紛々の世の中にあっては、全てが疑わしく、惑うばかりの私。
最後に残されるのは自分自身への信頼。
その自分が信じられなければ、全ては終焉に向かって嘆息することとなろう。
万古不易の天空が私を嘲笑っているのを感じる。
天は何も変わっていないのに、我の心は転々と流転している。
不動心。平常心。
簡単なようで、なんと難しいことか。
降り立つ場所を見失った鳥のように私はさまよう。
地に足がつかない心境というべきか。
絶望に疲労心は伴わない。
疲労する場所もないのが絶望だ。
疲労できることの幸せよ。
疲労すらできない者の悲しさよ。
それでもなお、人は生き続けようとする。
生きることの尊さを感じるが故に。
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